石田梅岩像 平成19年4月14日

石田梅岩 いしだ・ばいがん

貞享2年9月15日(1685年10月12日)〜延享元年9月24日(1744年10月29日)

大阪府堺市・菅原神社でお会いしました。


通称は勘平、梅岩は号。
丹波国生まれ。
京都の商家に奉公しながら勉学と思索に努め、隠士小栗了雲に師事。
心学の根本である人性の開悟、自身の心と世界の一体性を自覚し、45歳のとき自宅に講席を開いて教化活動を開始。
朱子学に由来する用語を多く使い、勤勉・倹約・正直・孝行などの通俗倫理による人間の道徳的自己規律を説いた。
商人をはじめ四民の社会的役割を指摘し、賤商観を克服し庶民の人間としての尊厳を強調するなど、社会的に成長してきた町人を主とする庶民層の意識を自覚的に思想化した。


石田梅岩先生像



石田梅岩先生像

(大阪府堺市・菅原神社)





(平成19年4月14日)

碑文

石田梅岩先生名は勘平江戸時代中期の人で丹波に生まれ京に出て商家に奉公しながら神儒佛三教の心を身につけて心學の基を開かれた近世文化発祥の地である堺に来て寛政の頃に中沢道二翁が心學道話を試みた時には三千の大衆が集り文化14年には心學講舎庸行舎が此地の人々によって建てられた
梅岩先生220年忌にあたり地元各位の熱意によってこの像が再建された事は欣快にたえない
永く世道人心に益する事を祈る

昭和39年6月
石門心学会理事長 文学博士
石川謙 撰
山川虎男 書

菅原神社楼門



菅原神社・楼門
(大阪府堺市・菅原神社)





(平成19年4月14日)

大阪府指定有形文化財
菅原神社 楼門

昭和45年2月20日指定
昭和51年解体修理

この門は正門の柱間が三間、出入口が一ヶ所の三間一戸さんげんいっこの楼門ろうもんで、屋根は入母屋造・本瓦葺です。
楼門とは二階建の門で、上層に手すり付の縁が廻らされている門のことをいいます。
この建物の特徴のひとつは軒を支える複雑な組物に、彫物をほどこした絵様肘木えようひじきを用い簡略化していることです。
特に上層では、大斗たいと絵様肘木の上に尾垂木おたるき付きの絵様実肘木さねひじきを重ね、伝統的な二手先にてさき組物に似た構成としています。
これらは近世建築の様々な表現方法のひとつと考えられ、、建築史上の意匠変化を知る上で重要です。
このような特色ある手法や様式などから、建立年代は17世紀後期にさかのぼるとみられます。
大坂府下での数少ない楼門建築として貴重です。

平成4年3月
大阪府教育委員会
堺市教育委員会

(説明板より)

菅原神社



菅原神社
(大阪府堺市戎之町東2丁1−38)





(平成19年4月14日)

菅原神社

祭神は、菅原道真・天穂日命あめのほひのみこと・野見宿祢のみのすくねの三座である。
当社の縁起によれば、延喜年間(901〜922)堺の海岸に、菅原道真自作の木像が漂着した。
これを民家のかたわらに祭っていたが、後に常楽寺(菅原神社)の僧が同寺に移し、社殿を造営し、長徳3年(997)神殿に祭ったのが、当社のおこりである。
天文元年(1532)の火災をはじめ、大阪夏の陣(1615)の戦火などを蒙ったが、承応2年(1653)には、本殿・拝殿が再建された。
しかし、昭和20年の戦災によって、わずかに現在、大阪府の有形文化財に指定されている楼門を残して全焼した。
戦後は、もと戎島にあった恵美須神社もここに移され、1月9日〜11日には戎祭、9月13日〜15日には例祭が行われている。
旧市域北荘(大小路以北)と戎島が氏地で、市民からは「天神さん」と呼ばれている。

堺市

(説明板より)


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