伊東深水 いとう・しんすい

明治31年(1898年)2月4日〜昭和47年(1972年)5月8日


本名は伊東一はじめ
鏑木清方かぶらぎ・きよかたに師事し、巽たつみ画会や院展に出展。
大正5年(1916年)渡辺庄三郎の彫りと摺りを分業した新版画運動に参加。
美人画を得意とし、版画や挿絵も手がけた。
昭和25年(1950年)に日月社を結成。
日本芸術院会員。


誕生の地説明板



伊東深水誕生の地

(東京都江東区森下1・常盤2)





(平成18年2月22日)

日本画家 伊東深水誕生の地(森下1・常盤2)

伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、深川西森下町の神明宮門前で生まれました。
本名は一はじめ
深川尋常高等小学校に入学後、2年生のときに父が失職し、深川の地を離れました。
しかし、深川との縁は深く、明治41年には深川東大工町の東京印刷株式会社(白河4−9)に勤務。
ここで画才が認められ、同44年に日本画家の鏑木清方かぶらぎきよかたに入門しました。
深水の雅号がごうは、深川の水にちなむもので、清方がつけたものです。
入門の翌年、巽たつみ画会展出品作「のどか」が初入選。
大正3年に「桟敷さじきの女」、翌年には「十六の女」がそれぞれ院展、文展で入選し、その後も高い評価をうけました。
また、大正中ごろには、新版画運動に共鳴し、木版画「対鏡ついきょう」を制作。
雑誌や新聞小説の挿絵、口絵なども手がけました。
深水は、江戸の浮世絵の伝統を受け継ぎ、女性の美しさを創出する日本画家として、日本の近代美術史に大きな功績を残しました。
その功績から、昭和33年5月には日本芸術院会員になり、同47年5月8日に74歳で没しました。

平成15年10月

江東区教育委員会

(説明板より)

深川神明宮




「伊東深水誕生の地」説明板は深川神明宮の前に建っています。





(平成18年2月22日)

写真 説明板より


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