岩村通俊像 平成22年5月26日

岩村通俊 いわむら・みちとし

天保11年6月10日(1840年7月8日)〜大正4年(1915年)2月20日

北海道札幌市・円山公園でお会いしました


幕末期の高知藩士。
高知藩陪臣・岩村英俊の長男。
岡田以蔵、武市瑞山と交わる。
維新後、御親兵総取締・開拓大判官・佐賀県権令・鹿児島県令などを経て元老院議官となる。
さらに、会計検査院長・司法大輔・初代北海道庁長官を歴任。
その後、元老院議官に復帰し、農務省次官を経て第一次山県有朋内閣の農商務相となる。
しかし、省内の抗争を押さえられず半年で退き、貴族院議員に転じた。


岩村通俊の像




岩村通俊之像
(札幌市・円山公園)





(平成22年5月26日)
岩村通俊の像




岩村通俊之像
(札幌市・円山公園)





(平成22年5月26日)

【碑文】

岩村通俊は高知の人。
明治2年開拓判官となり、北辺開拓の重任にあたる。
通俊は国内に類例をみない区画設計を断行し、近代都市札幌の礎を築いた。
明治19年、北海道庁が設置されるや初代長官となり、地形測量、殖民地選定、道路の開削などの基礎事業を創め、官業を整理して民業に移すなど、殖産政策の転換をはかった。
さらに、かねて着目していた奥地開拓の緒を開くなど、北海道開拓に一時期を画する成果をあげた。
その勲業まことに偉大である。
ここに北海道百年を迎えるにあたり、その偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるため、この像を建立する。

昭和42年10月
北海道開拓功労者顕彰像建立期成会
会長 ■■■一




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