岩瀬弥助像 平成20年4月4日

岩瀬弥助 いわせ・やすけ

慶応3年10月6日(1867年11月1日)〜昭和5年(1930年)1月3日

愛知県西尾市・西尾市岩瀬文庫書庫でお会いしました。


岩瀬弥助像



岩瀬弥助翁之像

(愛知県西尾市・西尾市岩瀬文庫書庫)





(平成20年4月4日)

碑文

慶応3年西尾須田町に生まれる。
幼名吉太郎。
岩瀬家の当主となり家業の肥料商山本屋を継ぐや、幅広い経済活動を展開し一代で財を成した当地方の屈指の豪商である。
若くして西尾町長に就任、また西三河に軌道事業を興すなど政財界に活躍する一方、文化・教育・福祉の諸事業にも情熱を傾け、莫大な寄付を惜しまなかった。
岩瀬文庫は、生来の読者家であった翁が、明治40年に私財を投じて創設したもので、和書を主とする10万冊余の蔵書は広く学究の知るところである。
昭和5年歿、享年61歳


創設者岩瀬弥助

岩瀬弥助は慶応3年10月6日に須田(現西尾市須田町)に生まれました。
肥料商「山本屋」の4代目当主です。
商才に長け、一代で莫大な財を築き上げました。
また市内の学校へ土地やお金を寄付したり、鉄道を敷くなど、社会事業にも多大な貢献をし、31歳の時に西尾町長も務めました。
図書館の設立は、42歳の大厄を迎えるにあたり思い立ったと伝えられます。
設立資金は当時のお金で約3万円、古書店などを通じ蔵書を買い集め、明治41年5月開館、当初は、本館と土蔵作りの書庫、蔵書約27000冊でのスタートでしたが、その後も本を買い集め、さらには施設の充実を目指し大正5年〜10年にかけ増改築を行いました。
今も残る煉瓦造りの書庫や少し遅れて完成した児童館などはこのときのものです。
そして、弥助は昭和5年病気のため亡くなりました。

(『西尾市岩瀬文庫』リーフレットより)


岩瀬文庫書庫




岩瀬文庫書庫






(平成20年4月4日)

岩瀬文庫書庫

区分   国登録有形文化財・建造物
所在地   西尾市亀沢町474番地
指定年月日  平成11年6月7日

大正8年頃の建物で、地上3階、地下1階建てである。
構造は土蔵の大壁おおかべをレンガに置き換えたもので、木造の小屋組こやぐみに瓦を葺せた屋根を造る。
内部は木造で、柱を立てて梁を渡し、少しずつ隙間をあけて床を張り、壁を漆喰塗りとする。
外部には玄関の外観、軒先窓台に洋風意匠が見られ、外壁の表面にレンガに似せたタイルが張られている。
設計は西原建築工務所、タイルは常滑の陶栄株式会社で生産された。
窓にも鉄扉(現在はアルミサッシに取替えられた)を入れて火気を遮断するなど、耐火性能を高めるために導入された構造であり、外壁のタイル張りは外装材として使われる初期段階にあたる。
西尾における唯一の現存レンガ造建築であり、近代建築の成立過程の一端を示す建物として貴重なものである。

平成15年10月
西尾市教育委員会

(説明板より)

西尾市立図書館おもちゃ館




西尾市立図書館おもちゃ館






(平成20年4月4日)

西尾市立図書館おもちゃ館(旧岩瀬文庫児童館)

区分  国登録有形文化財・建造物
所在地  西尾市亀沢町474番地
指定年月日 平成11年6月7日

大正14年頃、子供のための児童書閲覧室として建てられた建物である。
木造平屋建てで、玄関に通じる空間とその西側に床を一段上げた小さな空間を設けている。
内部は窓台の高さも子供の目線に合わせて低く造られ、腰壁をモルタル塗りとし、当地で収集された瓦がはめ込まれる。
外部はアメリカ下見板張りとする。
地方都市における小規模な洋風建築は、鉄筋コンクリート造が普及するまで、レンガ造または下見板コロニアル・スタイルの建物が主流であった。
この建物は後者の典型例に位置付けられ、学校以外の児童向き施設としては日本でも初期段階の施設として貴重である。
そして、西尾の近代化を物語る数少ない現存する歴史的建造物の一つである。

平成15年10月
西尾市教育委員会

(説明板より)



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