伊豆長八 いず・ちょうはち

(入江長八 いりえ・ちょうはち

文化12年8月5日(1815年9月7日)〜明治22年(1889年)10月8日


伊豆長八の墓



伊豆長八の墓

(東京都台東区松が谷・正定寺)





(平成19年12月28日)

伊豆長八の墓

台東区松が谷2丁目1番2号 正定寺

長八は鏝絵こてえを描き、『異本日本絵類考』に、「最古の技に長ぜり」「柱等に種々に絵画を泥装するをもて、専門の業となし、又花瓶額面等に、花卉鳥獣の形を塗る、世人以て微妙の技となす」と評された人物。
鏝絵とは漆喰を塗った上に、鏝で絵を描き出したもので、石灰絵ともいう。
文化12年(1815)8月5日、伊豆国松崎で誕生した。
俗に伊豆長八と呼ばれ、世に知られた。
天保元年(1830)に江戸へ出て、左官棟梁源太郎の弟子となった。
修行のかたわら、狩野派の画法を学び、乾道と号した。
また晩年には仏教学も学んで天佑と号したという。
明治3年(1870)に名字の名乗りが許されると、最初上田と名乗り、後に入江と改姓した。
明治22年10月8日に78歳で、深川に没すると、遺骨は正定寺に埋葬され、同時に松崎の浄感寺にも分骨された。
正定寺の墓石には、「入江家先祖の墓」と刻まれ、台石には「深川播磨屋」と養家の家号が刻まれている。

平成15年3月
台東区教育委員会

(説明板より)

正定寺



正定寺
(東京都台東区松が谷2−1−2)





(平成19年12月28日)



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