神武天皇像 平成19年11月7日

神武天皇 じんむてんのう

愛媛県西予市宇和町卯之町・雨山公園でお会いしました。


記紀系譜上の第一代天皇。
神日本磐余彦かむやまといわれひこ天皇・彦火火出見ひこほほでみ尊と称する。
甲寅年、45歳のとき東征を企て、日向国をたち、筑紫・吉備を経て4年後に河内国に入った。
胆駒いこま山を越えて大和に入ろうとして長髄彦ながすねひこの抵抗にあったが、転じて熊野に向かい、天照大神あまてらすおおみかみの遣わした八咫烏やたのからすに導かれて奈良盆地南部に入り、在地勢力を従えてついに長髄彦を討って大和を征服した。
媛蹈鞴五十鈴媛ひめたたらいすずひめを正妃とし、辛酉年に橿原宮で即位し、始馭天下之天皇はつくにしらすすめらみことと呼ばれたという。
この神武東征説話は、基本的には天孫降臨以後の建国神話の一部であると考えられるが、弥生文化の九州から畿内への伝播などとも関連して、その背景に何らかの歴史的事実の存在を考える意見もある。


神武天皇像



神武天皇像
(愛媛県西予市宇和町卯之町・雨山公園)





(平成19年11月7日)
神武天皇像



神武天皇像
(愛媛県西予市宇和町卯之町・雨山公園)





(平成19年11月7日)

宇和の生んだ彫塑界の祖
白井雨山先生

白井雨山は、元治元年(1864)3月1日、雨山公園下に父佐平・母なみの四男として生まれ、保次郎と命名された。
明治22年地元有志方々の後援と推挙により、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。
彫刻を専修し、同校教授竹内久一先生の知遇を得る幸運に恵まれ、明治26年優秀な成績で卒業された。
雨山は常に日本の彫刻界が西洋に遅れていることを憂え、意見書を当時の校長岡倉天心を通じて文部省に建白し許可され、塑像科が新設された事は我が国彫刻界に一時期を画した偉業と言える。
その後、ドイツ・フランス等に2年間留学し、帰国後東京美術学校教授に任命され、母校の塑造を指導された。
在職中に建畠大夢・朝倉文夫・北村西望等彫刻界の第一人者となる弟子を育成された。
この神武天皇立像は大正6年に雨山が制作し、ほかに明治天皇騎馬像・東洋三聖人等の作品が先哲記念館に展示されている。
雨山は昭和3年3月に没し、ここ郷里白井家の墓地に眠る。

宇和郷土文化保存会
製作 宇和ライオンズクラブ
     結成40周年記念
平成12年4月23日

(説明板より)


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