6.クラーク博物館に行く

(ストッチェンバーグ・マバラカット~マニラ)


 平成24年(2012年)4月28日 (4日目)
私が泊まったホテル

昨晩は、ホテルの部屋で英語のお勉強!(大笑)
持参した電子辞書で、今日、使うであろう英単語のお勉強をした。
今日は、今回の旅行のもう一つの目的・・・「クラーク博物館」へ行く予定なのである。
館長さんに、ちょっとお話したいことがある。
しかし、通訳役の“ステラさん”がいないので、自分で話さなければならない。(涙)
というわけで・・・英語のお勉強をしたのだが・・・
朝になったら・・・全部忘れていた!(大笑)
昨晩のあの勉強は何だったのだろうか・・・
歳は取りたくねぇものである。
覚えは悪いわ、直ぐ忘れるわ・・・(涙)

今日は、頼りの“ステラさん”はいない・・・・
ドライバーと私の2人で行動しなければならない。
大丈夫だろうか・・・(大汗)
ホテルに迎えに来たドライバーと改めて今日の予定の打ち合わせをする。
兎に角・・・私の英語・・・わかるよね?(大笑)

ホテルをチェックアウトして、「クラーク」へ向かう。

マバラカット

向こうに見える山々は、我が戦車第2師団機動歩兵第2連隊の柳本大隊が戦ったあたりであろう。
クラークの空港

戦時中、日本軍の航空基地だった場所

「マバラカット」を過ぎ・・・「クラーク」へ・・・
と・・・・
何故か車はあちらこちらをグルグル・・・行ったり来たり・・・
ん????
さては、「クラーク博物館」の場所を知らないのではないか?(汗)
私も、その昔、一度しか行ったことがないので、よくは知らない・・・
だいたい、この辺り・・・としか知らないのである。
ドライバーに確認したら、知っていると言うので、半分安心していたが・・・
やっぱり・・・である。
迷いやがった・・・(涙)

散々迷った挙句、ようやく「クラーク博物館」に到着。
戦時中、日本軍の「ストッチェンバーグ病院」(海軍病院?)があった場所に建っている。

クラーク博物館

ドライバーは車の中で待つと言う・・・
「1時間ぐらいかかるからね」と言って一人で博物館へ・・・
で・・・え~と・・・
「館長さんに会いたいんですけど・・・」と言いたいのだが・・・
“館長”って英語でなんて言うんだっけ?・・・忘れた!(涙)
“directer(ディレクター)”しか思いつかなかったので、この単語を使った。
一応通じたが・・・
博物館の女子職員が「館長は留守です」の言葉に続いて・・・
「“directer”ではなく“curator(キューレイター)”が正しい言い方です!」とピシャリと言われてしまった!
「おお!そうそう、それ、それ、キューレイター!」
昨晩、調べておいたんだけどなぁ~(涙)
博物館の館長のことは「キューレイター」って言うんだっけ・・・
聞きなれない言葉だから全然頭に入らなかったようである。(大笑)
やっぱり若い時に、もっと単語を暗記しておくべきだった・・・と後悔しても・・・遅いか・・・

以前、私がお会いした館長はフィリピン人の男の館長さんだったが、話によると、今は女性が館長さんだという。

訪問した用件を応対に出てくれた2人の女性職員に説明する。
この博物館に展示されている日本軍の兵器の説明文が、確か間違っていたと記憶していたので、それを直してもらうため資料を持参してきたのである。
で・・・英文と日本文の両方で表記してもらおうかな・・・と・・・

私に正しい英単語を指摘した女性職員が館内を案内してくれた。
彼女は英語の先生をしているという。
あ~それで、私が間違った単語を使ったことが許せなかったのね?(大笑)
「ところで、あなたは英語をどこで勉強したの?」と尋ねてきた。
ん?
その質問は・・・・
私があまりにも流暢な英語を話すので驚いて質問したのか・・・
それとも、あまりにも私の英語がお粗末過ぎて呆れて質問したのか・・・
多分・・・後者のほうだろうなぁ~(大笑)

館内を見学していて・・・あれれぇ~
展示内容がかなり違っている!
「館長が変わったので展示のレイアウトも変えたのか?」と尋ねたら・・・
彼女がニヤリと笑った・・・
「館長がレイアウトを変えたのか?」と尋ねたら「そうだ」と笑って言う・・・

写真奥の機銃:九七式車載重機関銃

九七式車載重機関銃・・・・
以前は、これに間違った説明文が付いていたが、その説明文自体が無くなっていた・・・・
これは日本軍の戦車に搭載されていた機関銃で、戦車から取り外して、外に持ち出して使用することも出来る機関銃である。
この展示されている機銃は、ほぼ完全な形である。
こういう照準器や弾倉まで付いた“完品”も珍しい。
この照準器は、航空機用の照準器を流用したもので、この照準器が付いたまま残っているというのには驚く。
「これらの“遺品”は全て寄贈されたものです」と彼女が言う。
そう、それも知りたかったのだ。
どこからこの車載機銃を手に入れたのか・・・
それがわかれば、どの戦車部隊のものなのかがわかるのではなかろうか?
もしかしたら、我が戦車第2師団のものではなかろうか?

その他の展示品にも説明文が一切付されていない。
「これは何ですか?」と職員・・・
剣道の“面”なのだが・・・
これ、英語で何て言えばいいんだろう・・・
剣道は・・「ケンドウ」・・・か?
「ジャパニーズ・フェンシング」じゃ、おかしいよな?(大笑)
“面”は・・・「マスク」?
何とかわかってもらえたが・・・・
唖然としたのは・・・水筒!
「これは何ですか?」には参った・・・
どこから見ても水筒じゃん!
が・・・「水筒」の英単語が頭に浮かばない・・・(涙)
あ~あ~電子辞書はスーツケースの中である!
「え~と・・・日本語では知っているんだけどね。え~と、英語では何て言うのか・・・知らない」
「ふ~ん・・・」
「日本語では知っているんですけどね・・・こうやって、水を飲むやつ・・・わかる?」
「ふ~ん・・・」
(あとで調べたら“canteen(キャンティーン)”と言うのだそうだ・・・笑)
あ~あ~なんとボキャブラリーのない男か・・・情けない・・・
ろくに英語もできないくせに、どうしてこういう苦労を自ら背負い込んじゃったかなぁ~
シドロモドロ・・・冷や汗の連続・・・である。

山下奉文大将の軍服(複製品)

「館長は毎週末になるとマニラの自宅に帰っちゃうんですよねぇ~」と彼女が、ちょっと嫌な顔をした。
ハハァ~ン・・・どうも館長のそういう行動が不満らしい・・・(笑)
「来週戻ってくるので、来週来て下さい」と言う。
「俺、明日、日本に帰るから無理だよ」
「今度はいつ来るんですか?」
「う~ん・・・来年かな?」
「来年?」・・・笑われた・・・・
館長が不在じゃしょうがない・・・
とにかく、私が持参してきた資料を館長に渡してくれるように頼む。

「今から学生達が来るので、その相手をしなくてはならないので、あとは一人で自由に見学して下さい」と言って彼女は去っていった。

米軍の重機関銃などに混じって、ポツンと置いてあった・・・・これ・・・
戦車などに搭載されていたジャッキではなかろうか?
あらら・・・
これは以前来たときには展示されていなかったものである。
かなり劣化しているようで・・・水の中にでも埋まっていたものか?
我が戦車第2師団の戦車のものではなかろうか?
大発見である!
これも、どこから寄贈されたのか知りたいものである。
「サンマニュエル」の田んぼの中から掘り出した・・・なんていったら、我が戦車第7連隊のものである!(喜)

まもなく・・・ドドッと学生達がやって来た!
あらら・・・・
私が日本軍の遺品についてボランティアガイドをしてあげてもいいけど・・・
でも、質問されたら、英語が下手だから・・・
う~ん・・・知らん顔しておこう・・・(大笑)

見学に来た女子学生たち

この学生達・・・・
デジカメでバチバチ写真を撮りまくっている。
中には一眼レフの、いかにも高価そうなデジカメを持っている女子学生までいる。
いやぁ~裕福な家庭の子供たちなんだろうなぁ~
私は、山村の貧しい子供たちしか見たことが無いので、この格差の大きさには驚いた。

ところで・・・以前来たときには「戦車第2師団戦闘概要図」という大きなパネルが展示されていたのだが・・・
それが・・・ない!(大汗)
ルソン島の地図に我が戦車第2師団の戦闘の流れが書かれていたパネルである。
確か日本語で書かれていたような気がするのだが・・・
どこへ行っちゃったんだろう?

この博物館は「郷土博物館」なので・・・
この地域の先住民族「アエタ族」の写真なども展示されていた。
ただ、残念なのは、その資料が少ない点である。
本当の“フィリピン人”というのは、彼らのような先住民族なんだよねぇ~

学生達でうるさくなってきたので、外に出る事にした。
さっきとは別の女性職員が話しかけてきた。
日本の横須賀に友人がいるのだそうだ・・・
「〇〇さんというのですが、知っていますか?」と尋ねられたが・・・知るわけがない・・・(大笑)
「外に機関銃が置いてあるので見て下さい」と言う。
「あ~アンチ・エアクラフト・ガン(対空機銃)でしょ?」
「そうです!」となぜか大喜び・・・
なんでこの人が喜んでいるのか・・・わからない・・・(笑)

九六式25ミリ連装機銃

外に出たら・・・一人の青年が駆け寄ってきた。
何事????
「さっき、あなたが日本のミリタリー・ヒストリアン(戦史研究家)と聞いたのですが・・・名刺をいただけませんか?」と言う。
話をしてみたら、彼は戦史や戦跡に興味があり、ガイドもしているという。
今回は学生達のガイドをしているという。
「是非、私にもガイドをやらせてもらえないか?」と言うのだが、名刺は持っていないという。
とりあえず、私の名刺を渡し、何かあったらメールをくれるように言う。

さて・・・予想通り、1時間も滞在してしまった。
ドライバーも呆れかえっているようですから・・・(苦笑)
行くとしますか・・・・
博物館の女子職員に別れを告げて車に乗り込む。

で・・・・コーヒーが飲みたい!
「私はコーヒーはいりません」とドライバー・・・
「俺が飲みたいんだって!どこかコーヒーが飲めるところへ行ってくれ!」(苦笑)

「マクドナルド」のようなお店を見つけたので、そこでコーヒーを飲み、タバコを一服することにした。
で・・・カウンターの前に並んでいたら・・・
私の前のフィリピン人の女の子・・・やたらと注文が細かい。
ああしろ、こうしろ・・と言っていたかと思ったら、今度は携帯で誰かとしゃべりだし・・・
注文を訂正・・・ついでに注文の追加!
おい、おい、いつになったら終わるんじゃ!(怒)
私の後ろには7人近く並んでしまっているが、この女の子の注文と注文訂正が続く・・・
直ぐ後ろに並んでいたアメリカ人の白人のオバサンと「うそぉ~しんじられなぁ~い!」と目と目で会話。(大笑)
「ですよねぇ~」(大笑)
「このバカヤロウ!いい加減にしろ!」と怒鳴りたいが・・・そういう英語は話せない・・・(涙)
カウンター前に大渋滞を作った、彼女は注文した品をを受け取ると平然と立ち去っていった。
こういう横柄な女は大嫌いである!(怒)
後ろから蹴り飛ばしてやろうかとすら思うのである!
で・・・後ろの白人のオバサンと、またまた目と目で会話・・・(大笑)
こういう時は、表情が豊かなほうが“会話”が弾む。(笑)
ようやく、私の番・・・
カウンターの女の子が申し訳ないと謝ってきたが・・・
さて・・・困ったことに、気の利いたジョークが出てこない。(涙)
こういう時は、ジョークの一つでも言って笑いを取りたかったのだが・・・残念・・・

コーヒーは飲みませんと言っていたドライバーは気が変わったようで、コーヒーを飲むというので、ご馳走してあげる。(笑)

で・・・この後は・・・??
このままマニラに向かうと、かなり早い時間に到着してしまう。
「“カミカゼ”の場所に行きましょう」とドライバー。
どうせ、今回の目的は全部こなしてしまったので、あとはどうでもいい。(笑)
彼の言う“カミカゼ”の場所へ連れて行ってもらう。

向かった先は、たぶん「マバラカット西飛行場」だと思う。
ここには8年前の平成16年に来たことがある。
この丘の麓に慰霊碑があり、丘には横穴が掘られていて、内部は司令部か何かだったとか・・・

洞くつの内部に入ろうかなとも思ったが・・・
入り口は、かなり狭い・・・
8年前に、この中に入ったことがあるが、こんなに狭かったっけ?(笑)
どうも記憶があやふやである。
内部は立って歩けるほど天井が高く、丘の向こう側に抜けていたように記憶しているのだが・・・
まぁ、今回は内部に入るのは止めよう。(笑)

直ぐ隣で、バン、バンと音がする。
ん?この音は・・・銃声じゃないか?
ドライバーに尋ねたら射撃場だという。
8年前には、そんなものは無かったぞ・・・・
丘を利用して射撃場が出来ているらしい。
で・・・誰が射撃しているのかはわからないという。
う~ん・・・一般人でも利用できるのなら是非、私も久しぶりに射撃をしたいのだが・・・(笑)
塀をよじ登って覗いてみたかったが、流れ弾に当たったら危ないので(大笑)・・・やめる。

さて、時刻はまもなくお昼である。
ドライバーとこれからの予定を打ち合わせ・・・
ここから、真っ直ぐマニラのホテルに向かい、途中のドライブインで昼食を取るということにする。

途中、「アンヘレス」という町の中を通過・・・
ドライバーは細かく丁寧に(大笑)、この町並みを説明してくれる。
つまり・・・ここが“飲み屋街”・・・“色町”・・・である。
昨晩、彼はここへ私を案内したかったらしい。
“色町”は、昼間見ても何も面白くはない・・・
ネオンがキラキラしている夜じゃないとねぇ~(笑)
ドライバーは何故か狭い路地を走ったりと、不思議なルートを通る。
これは・・・道を間違えたというわけではなさそうである。
よかったら、今晩、ここまで私を車に乗せて連れて来てやると言う・・・
こいつは、どうも私のことがわからっていないようである。
一緒に食事をしたりして、色々と話をしたのに・・・(カタコト英語だけど・・・)
私は、そんじょそこらの日本人観光客とは違うんだってば!・・・・(怒)
ここには、結構多くの日本人が“遊び(女の子目当て)”に来るらしい。
安いホテルもたくさんあるのだそうだ・・・
一応、念のため・・・ということで誘ってくれていると良心的に解釈して・・・・(笑)
キッチリとお断りさせていただく。(大笑)

ピザ屋さん

午後1時・・・・
高速道路のドライブインで昼食を食べることにする。
ドライバーが何でもいいというので、ピザ屋さんにした。
が・・・彼は、ピザはあまり好きではないのだと、ピザが出てきてから言う。
「何でもいいって言ったよね?」(怒)

店内は禁煙なので、食後、店の外でタバコを一服・・・・
と・・・店の若いガードマンが声をかけてきた。
「お友だちに会いに来たんですか?」と言う。
あ~あ~・・・・またこれだ・・・
“お友だち”とは、フィリピン人の女の子のことを意味する。
日本人の男と見ると、必ずフィリピン人の恋人に会いに来たのか(もしくは女を買いに来たのか)と思われるのである。
まともに答えるのも面白くない・・・・
「そうだよ~」と答えたら、彼がニヤリと笑った。
「え~と・・・山の中の村の人達に会いに来た。知ってるか?ヌエバビスカヤのマリコ村」・・・・
さすがに、ガードマン君・・・どう答えていいのか戸惑った様子・・・
ヘヘヘッ・・・ざまぁみろ・・・(大笑)
「これだと思ったろ?」と小指を立てて見せたら、恐縮していた。(大笑)
それから、ちょっと世間話・・・
というか、彼の身の上話・・・・
なんでそんな話を聞く羽目になったのか・・・わからんが・・・(大笑)

ガードマン君に別れを告げて一路マニラへ・・・・

ドライバーは、私の今晩の“ご予定”が気になるらしい。
夜は予定があるのか、誰かと会うのかと、しつこい・・・・
どうしても私を“色町”に連れて行って小遣を稼ぎたいようである。(笑)

ホテルに到着し・・・ドライバー君とはここでお別れである。
彼の期待しているチップ・・・・
通常、私が運転手に渡している普通の額を渡す。
カネを欲しがる奴にはわざと多くは与えないのが私の主義である。(笑)
私が渡した紙幣の額を見て、ガッカリしたのだろう(笑)、「あ~そう、こんなもんかぁ」ってな表情で帰って行った。(大笑)
彼がカネの話をしつこく持ち出さないでいたら、2倍は払っても良かったのだが・・・
車は脱輪するし、道は間違えるし・・・だから、通常のレベルしか払わない!(大笑)

このホテルは私の定宿であるが、チェックインは、いつも“ステラさん”がやってくれていたので、自分でチェックインをしたことがない。
さて・・・話が通じるだろうか?
一人でやらねばならぬ・・・・急に心細くなっちまったぞ・・・(大汗)

何とかかんとか、私の拙い英語が通じたが・・・(大笑)
部屋の準備が出来ていないという。
で・・・コーヒーのサービス券をくれた。
これでコーヒーを飲んで待っていて欲しいという。
しかも、なぜか・・・2枚・・・
2杯も飲めとは、かなり時間がかかるということか?(苦笑)

レストランへ行く・・・・
ここの女性マネージャーは、昔から務めている人・・・
スタッフが次々と代わるが、彼女だけは“生き残って”いる。
もう10年ぐらいは勤めているんじゃないだろうか?
私を見て、「久しぶりですね!」と英語だが、笑顔で迎えてくれる。
「確か、喫煙席ですよね?」と案内してくれる。
こういうフレンドリーな人がいるから、私はこのホテルに泊まるのである。

コーヒーを飲んで読書をしていたら、いきなり目の前に座った奴がいる。
「シャチョォ~ヒサシブリデスネェ~!」
“ポン引き”のオヤジである。(涙)
こいつ・・・以前、口をきいたことがあるのだが、それから必ず私に声をかけてくるのである!
記憶力がいいというか・・・なんというか・・・
私が目立ちすぎるのか・・・(涙)
「シャチョォ~、オンナ、ドウデスカ?」
「いらねぇよ」
「イマカラ、ミニイキマショウ」
「行かねぇって」
「イマ、キメテ、ソノアト、ユックリネ。ヨル、オンナノコ、クル、デ、イイデショ?」
「だから、いらないって」
「ヘヤ、ナンバンデスカ?」
この野郎、俺の話を全然聞いていねぇのである!(怒)

そろそろ部屋の準備が出来たのではなかろうか・・・とフロントへ行く。
と・・・このオヤジも付いて来てカウンターの中を覗き込む。
「おまえ、俺の部屋番号を確認しようとしてるだろ」
「エヘヘ・・・」
「後ろに下がってろ!」
お~い、誰かどうにかしてくれよ~・・・と周囲のボーイに言うが、ニヤニヤしているばかり・・・
この“ポン引き”のオヤジ・・・このホテルを根城に商売をしているのである。
裏で色々あるのだろう・・・ボーイも、このオヤジを排除できない・・・
「アトデ、ヘヤニ、デンワシマス!」
「しなくていいって!」
「ナンジガイイデスカ?10ジガイイデスカ?10ジニデンワシマス!」
「するなって!」
あ~あ~・・・このオヤジに会うたび、私は、別のホテルに泊まるべきだったと後悔するのである。(大笑)


  


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