(愛媛県護国神社)
平成19年11月9日
副碑・碑文
大東亞戦後の戦争裁判は世界史に汚辱の一章を加え犠牲者の遺族に消える日のない痛恨を印した
愛媛ゆかりの二十二烈士亦大節を貫き恩讐を越え祖國の弥栄を念じ従容として平和の人柱となった今や轉位して裁きの神の座にます尊霊たちよみそなわせ
敗戦祖国は世界驚異の發展をとげアジアの諸民族は相次いで獨立の宿願を成就しました
21世紀は日本の世紀在天の英霊とこしえに祖國を守りたまえ
階級 | 氏名 | 帰■地 |
憲兵中佐 | 豊永 綱雄 | マニラ |
海軍上等兵曹 | 中野 忠二 | シンガポール |
海軍上等兵曹 | 小崎 福一 | シンガポール |
陸軍大佐 | 藤重 正従 | マニラ |
海軍上等兵曹 | 藤江 竹夫 | シンガポール |
陸軍伍長 | 当川 正範 | ラバウル |
憲兵曹長 | 加藤 広明 | ラングーン |
憲兵大佐 | 膳 英雄 | 徐州 |
憲兵軍曹 | 内山 秀雄 | 北京 |
憲兵軍曹 | 井上 源一 | 徐州 |
陸軍大尉 | 藤井 一 | マニラ |
陸軍大佐 | 徳本光信 | 広東 |
海軍上等兵曹 | 吉田 朝直 | マカッサル |
憲兵曹長 | 織田 進 | サイゴン |
陸軍中将 | 立花 芳夫 | グワム |
海軍中将 | 鎌田 道章 | ポンチャナック |
海軍上等兵曹 | 清水 勇 | マカッサル |
陸軍兵長 | 本田 初治郎 | バタビヤ |
陸軍大尉 | 都子野 順三郎 | 東京 |
陸軍大尉 | 村上 宅次 | 東京 |
陸軍伍長 | 相原 一胤 | 東京 |
海軍大佐 | 三善 孝 | バリックパパン |
殉國 二十二烈士之碑 (愛媛県松山市・愛媛県護国神社) 昭和44年11月建之 白菊遺族会愛媛県支部 愛媛県戦争裁判 殉国者慰霊碑 建設世話会 (平成19年11月9日) |
【シンガポール戦犯死刑者】
小崎福一(上曹)
処刑日:昭和21年6月26日
所属:アンダマン
中庭で行われた最後の晩餐は、人思い思いの隠し芸で賑わっていた。
小崎はその豊富な声量にものをいわせてよく都々逸を唄った。
やがて小崎が獄塀せましとばかりの大声で安来節を唄い出すと、永翁が海軍特有の奇抜な振り付けでドジョウ掬いを踊り始めた。
やがて小崎と永翁とによる柔道の型が披露された。
二人はもはや人々に柔道を見せるという気持ちではなく、ただ最後のひと時を懐かしい祖国の柔道の精神に触れることによって、自らの清澄な心を発見し、明鏡な自己の姿に浸りつつあったかのようであった。
時刻は夜中の2時か3時かと思われた。
すでに7〜8時間の狂乱に疲れた6人(軍属・三橋又一、軍属・橋田進、上曹・小崎福一、上曹・永翁秀雄、二曹・多田三好、上曹・中野忠二)は、ときどきの風に燃えあがる余燼のように、間欠的な騒ぎを繰り返していた。
翌朝、常よりも早い朝餉あさげが終って、全員が一応軒下の席に着くと、感激の壮行会〜わたしたちはこう呼んでいた〜が始まった。
安部さんが国体篇を吟じ、毛内が荒城の月を唄った。
永翁が鴨緑江節を唄い、小崎が白頭山節をやった。
他の人たちも、昨夜と同じような歌を繰り返した。
「いよいよ時間もせまってきました。最後に一つ賑やかにお願いします」
小崎は高い声でノーエ節の音頭をとった。
教戒師の関口和尚さんが現われた。
「皆さんのお元気な様子をみさせていただいて、まことに安心しました。この様子は必ず皆さんの遺族の方にお伝えしておきます」と言われた。
一同は異口同音に〜お願いします〜とこたえたが、後には言いようのない静けさが襲ってきた。
6人は死の扉に近い2つの独房に分れて入った。
そこからはまもなく引導を渡す読経の声がもれてきた。
やがて2人の護衛兵が、死の扉のかなたから現れると、すでに幽閉されていた3人(小崎・永翁・多田)を、独房から連れ出して、これに後ろ手の手錠をはめると、頭に白い頭巾をかぶせた。
と、突然、喉をしぼるような声で、「小崎はただいま出発します。さようならアーア」
3人は最後の名乗りをあげて花道の扉を勇ましく潜って消えた。
「バンザァーイッ」
続いて起こる「バァ」とのみの、かすかな激しい声を最後に地響きがして、万歳の声はそのまま半ばで断絶されてしまった。
ハネ板が落ちたのである。
誰かは、隕石が落ちる音とも言った。
続いて、橋田と三橋と中野が、最後の名乗りをあげて死の扉を潜った。
中野忠二(上曹)
処刑日:昭和21年6月26日
所属:アンダマン
藤江武雄(竹夫?)(上曹)
処刑日:昭和21年7月30日
所属:アンダマン
(参考:若松 斉 著 『戦犯叢書6 絞首台のひびき』 国書刊行会 昭和57年2月発行)
(令和2年9月12日 追記)
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