重巡 足柄 あしがら


軍艦足柄戦没者鎮魂の碑



軍艦足柄戦没者鎮魂之碑
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

建碑の詞

太平洋戦争が終って20数年 世情もようやく平和に慣れて あの悲惨な戦いも忘れ去られようとしている今日 私達は 軍艦足柄と共に南溟の果てに散華した3百有余の戦友を思うとき 断腸の念を禁じ得ません
軍艦足柄は 昭和4年神戸川崎重工において 世界注視の最新鋭巡洋艦として進水
昭和12年5月英国皇帝ジョージ6世の戴冠式には 秩父宮殿下のお召艦として参加した
日中戦争が勃発するや 中国方面派遣艦隊の一翼をになって海の護りにつき 太平洋戦争の緒戦におけるスラバヤ沖海戦には 僚艦妙高那智等と共に 英国重巡エクゼター及び駆逐艦2隻を撃沈した
続く蘭印作戦では支援艦隊の旗艦として南海に活躍し その後北方警備の任を果たし 昭和19年10月25日 捷1号作戦における志摩艦隊の2番艦として スリガオ海峡よりレイテ湾に突入
同年12月24日ミンドロ島サンホセ沖海戦では 決死の突撃を敢行して数多くの敵商船団に痛撃を加えたが その攻撃中我が艦の対空砲火で撃墜された敵機によって火災を起こし数多くの戦友を失った
昭和20年6月8日未明 第2回陸軍輸送作戦においてジャカルタ港を出港
厳重警戒航行中敵潜水艦の雷撃に遭い 急ぎ応戦避退したが 浅海と減軸運転中のため 遂に敵魚雷4本をうけ 3百余名の戦友と共にその勇姿をジャカルタ沖に没した
時に6月8日正午 ああ悲しあの勇壮な足柄の艦影も あの元気な戦友の英姿も 今は遂に帰らぬものとなった
今ここに母港を一望する景勝のこの地を選び 英霊が帰り集う霊場と定め またの遺族が我が子 我が夫を偲ぶよすがの地とし 又私達が時に訪れて戦友を弔い 平和達成への誓いを新たにする馬ともし 軍艦足柄と共に殉じた諸勇士の輝かしい武勲と その殉国の精神を後世に伝え且又戦没諸子の霊を供養して平和の礎とするために 我等足柄生存者一同相はかってこの碑を建てるものであります

昭和47年6月8日建之
軍艦足柄生存者一同

(碑文より)

軍艦足柄戦没者鎮魂之碑

一等巡洋艦。
妙高型重巡の3番艦として昭和4年8月20日、川崎重工で竣工した。
佐世保本籍指定は進水日の昭和3年4月22日付である。

大東亜戦争においてはスラバヤ沖・レイテ沖・ミンドロ島沖の諸海戦に参加して活躍。
昭和20年1月からシンガポールに在泊していた足柄は、補給作戦に従事することになり、駆逐艦神風を随伴して6月4日セレター軍港を出港。
バンカ海峡を通峡して無事ジャカルタに入港し、ここで陸兵1600名及び軍需品を搭載して6月7日午前10時同地を出港。
翌6月8日、バンカ水道を20ノットでシンガポールに向け航行中の午後0時15分、右舷正横1500mから米潜トレンチャントより魚雷攻撃を受ける。
足柄は緊急回避したが間に合わず魚雷4本を右舷に受け、浸水して急速に右に傾斜。
午後0時37分、遂に沈没した。
足柄の乗員は艦長以下853名及び陸兵400名が神風に救助されてシンガポールに帰っている。
碑は昭和47年6月8日に建立された。
緒戦以来の同艦戦死者300余名を祀る。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【妙高型】

巡洋艦の排水量を1万トンに抑えたワシントン条約会議の翌年、条約巡洋艦である1万トン巡洋艦が発足した。
これが妙高型である。
主砲は20センチ砲10門を5砲塔に収め、防御は古鷹型とよく似ているが更に重防式を取り入れた。
速力は35ノットで米英のものより高速。
魚雷発射管12門は中甲板に置かれた。
妙高型は強度、復原性も良好であった。

(要目)(妙高・昭和16年)
公試排水量:1万4984トン
機関出力:13万2830馬力
速力:33.88ノット
航続力:14ノットで7463海里
乗員数:891名
兵装:20.3cm連装砲×5
    12.7cm連装高角砲×4
    25mm連装機銃×4
    13mm連装機銃×2
    61cm4連装魚雷発射管×4
飛行機:射出機×2、偵察機×3

(同型艦)

妙高(昭和4年7月31日竣工〜終戦時残存・海没処分)
那智(昭和3年11月26日竣工〜昭和19年11月5日戦没)
足柄(昭和4年8月20日竣工〜昭和20年6月8日戦没)
羽黒(昭和4年4月25日竣工〜昭和20年5月16日海没)

(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)
(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)


スラバヤ沖海戦

昭和17年(1942年)2月27日〜28日

日本軍 艦隊編制
 第5戦隊 司令官:高木武雄少将
重巡洋艦 那智 羽黒
駆逐艦 潮 漣 山風 江風
第2水雷戦隊 司令官:田中頼三少将 
軽巡洋艦 神通
駆逐艦 雪風 時津風 初風 天津風
第4水雷戦隊 司令官:西村祥治少将
軽巡洋艦 那珂
駆逐艦 村雨 五月雨 春雨 夕立 朝雲 峯雲
別働隊(蘭印作戦主隊) 司令官:高橋伊望中将
重巡洋艦 足柄 妙高
駆逐艦 雷 曙
第3航空戦隊 司令官:角田覚治少将
空母 龍驤
駆逐艦 敷波
輸送船:38隻

スラバヤ沖海戦・2月27日の昼戦(16時12分〜17時15分)

日本軍:第5戦隊・第2水雷戦隊・第4水雷戦隊
連合軍:ABDA打撃艦隊(米・英・蘭・豪)

16:12、英・駆逐艦『エレクトラ』が東部ジャワ攻略部隊を発見。
彼我艦隊の巡洋艦同士の砲戦が始まり、続いて雷撃戦が展開。
17:15、蘭・駆逐艦『コルテネール』が真っ二つに折れて轟沈。
18:00、英・駆逐艦『エレクトラ』が沈没。
18:20頃、高木司令官は追撃を中止し、輸送船を掩護しながら、夜戦に備えて陣形を整える。

ABDA打撃艦隊は、戦闘中に自艦の爆雷が落下して爆発し艦尾を損傷した蘭・駆逐艦『ウイッテ・デ・ウィット』を大破した英・重巡洋艦『エクセター』の護衛に付けてスラバヤへ向わせた。
米駆逐艦4隻は、昼戦で離れ離れになり主隊と合流できず、魚雷を使い切り燃料も少なくなってきたため、独自にスラバヤ行きを決める。
英・駆逐艦『ジュピター』は、味方が敷設したと思われる機雷で沈没。
英・駆逐艦『エンカウンター』は米・重巡洋艦『ヒューストン』が人道的見地から打ち上げた照明弾のおかげで、沈没した蘭・駆逐艦『コルテネール』の生存者113名を救助し、スラバヤへ向う。

スラバヤ沖海戦・2月28日の夜戦(23時00分〜23時47分)

日本軍:重巡洋艦『那智』『羽黒』
連合軍:米・重巡洋艦『ヒューストン』、蘭・軽巡洋艦『デ・ロイテル』『ジャワ』、豪・軽巡洋艦『パース』

23:00、巡洋艦4隻となったABDA打撃艦隊は『那智』と『羽黒』に遭遇、砲戦が開始された。
23:22、『那智』『羽黒』の両艦は計12本の魚雷を発射。
旗艦である蘭・軽巡洋艦『デ・ロイテル』と同じく蘭・軽巡洋艦『ジャワ』が被雷して沈没。
指揮官のドールマン少将は艦と運命を共にする。
米・重巡洋艦『ヒューストン』と豪・軽巡洋艦『パース』はバタヴィアに向って離脱。

この海戦での日本側の損害は、駆逐艦『朝雲』が大破したのみ。

その後

スラバヤへ逃げ込んだ英・重巡洋艦『エクセター』は応急修理ののち、英・駆逐艦『エンカウンター』と米・駆逐艦『ホープ』とともにセイロン島への脱出を試みるが、3月1日、日本艦隊・別働隊(重巡洋艦『足柄』『妙高』駆逐艦『雷』『曙』)に捕捉され、昼過ぎまでに全艦が撃沈された。

バタヴィアに逃げ込んでいた米・重巡洋艦『ヒューストン』と豪・軽巡洋艦『パース』は、再編成のためチラチャップへ向う。
途中で発見したバンタン湾の日本の大輸送船団(輸送船56隻)の攻撃に向ったが、日本側の迎撃により3月1日に両艦とも撃沈された。(バタヴィア沖海戦)

(参考:『歴史群像 2012年8月号』)

(平成25年10月21日 追記)




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