貝原益軒像 平成20年11月25日

貝原益軒 かいばら・えきけん

寛永7年11月14日(1630年12月17日)〜正徳4年8月27日(1714年10月5日)

福岡県福岡市・金龍寺でお会いしました。


筑前国福岡藩士の子として生まれ、19歳から71歳で致仕するまで、ほとんど福岡藩主黒田家に仕えた。
その間、長崎で医学を学び、江戸・京都に出て儒学を研鑽し、林鵞峰がほう・向井元升・木下順庵・松永尺五せきご・山崎闇斎らと交わる。
朱子学を基本としたが、青年期には陽明学も学んだ。
晩年には朱子学に疑問をいだき「大疑録」を著し、古学にも関心を示した。
本草学・農学・天文学・地理学などの自然科学にも造詣深く、『大和本草』は著名。
教育や経済の分野での著作も多く、『養生訓』『和俗童子訓』など簡潔に説かれた実践道徳書は広く流布し、今なお心身修養の書として評価されている。


貝原益軒像



貝原益軒像
(福岡県福岡市・金龍寺)





(平成20年11月25日)

貝原益軒先生(1630〜1714)ハ福岡ガ生ンダ江戸時代ノ偉大ナル先覚デアリ且ツ大儒トシテ多クノ著作ト教訓トヲ遺サン世ニ裨益スル所頗ル大デアツタコトハ世人ノヨク知ル所デアル
大正九年ソノ遺徳ヲ顕彰スベク金龍寺ニ銅像ガ建設サレタガ太平洋戦争ノタメ供出ヲ命ゼラレ久シク心アル人々ヲ痛歎サセテイタ
然ルニ昭和廿八年福岡市長小西春雄氏ガ委員長トシテ緒方竹虎氏始メ地元有志ノ協力ヲ得テソノ再建ガ計画サレ原型マデ出来上リ台座モ亦コノ処ニ移築ヲ見タガ偶々委員長ノ急逝ト経済界ノ変動トニアイソノ儘中断シテ今日ニ及ンデイタ
端ナクモ今秋ハ先生ノ二百五十年忌ニ当ルノデ関係者相計リ茲ニコレガ再建ヲ企テ有志ノ方々ノ協賛ヲ得テ銅像ヲ復元シソノ完成ヲ見ルニ至ツタノデアル顧ルニ再建計画以来既ニ二十余年両度ニ及ブ各位ノ御協力ニ依リコノ挙ガ実ヲ結ンダコトヲ深ク喜ビ先生ノ遺徳永ク郷土ノ後進ニ垂示サレンコトヲ希イ銅像再建ノ経過ヲ記シテ後世ニ遺ス次第デアル

昭和四十年十月再建
貝原益軒先生銅像再建委員会

(銘板碑文より)

貝原益軒公の墓



貝原益軒公之墓

(福岡県福岡市・金龍寺)





(平成20年11月25日)
貝原益軒先生墓所



貝原益軒先生墓所
(福岡県福岡市・金龍寺)





(平成20年11月25日)
金龍寺



金龍寺
(福岡県福岡市中央区今川2−3−23)





(平成20年11月25日)



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