海軍特別年少兵


海軍特年兵の碑 (平成18年1月24日)

海軍特年兵

あゝ 14才 大日本帝国海軍史上最年少の勇士である 少年兵より更に2才も若く しかも特例に基ずいたものであったため特別年少兵 特例年令兵の名があり 特年兵と略称された
昭和16年帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的にこれを創設した
太平洋戦争の時局下に純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参じた
その数は17年の一期生3千2百名をはじめ 二期生4千名 3、4期生各5千名 終戦の20年まで約1万7千2百名におよんだ
横須賀 呉 佐世保 舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した
戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された
だが反面幼いだけに犠牲者も多く 5千余名が 南溟に或は北辺の海に短い生命を散らした
しかし特年兵の存在は戦後歴史から忘れられていたため 長い間 幻の白虎隊という数奇な運命をたどっていた
このままでは幼くして散った還らぬ友が余りにも可哀想であり その救国の赤誠と犠牲的精神は日本国民の心に永遠に留め讃えねばならない
英霊の声に呼び覚まされたかの如く 25回目の終戦記念日を迎えた45年 俄に特年兵戦没者慰霊碑建立運動が高まった
戦火は消えて 26年の長い歳月の後に 多くの人たちのご協力によって碑が こゝ東郷神社の聖域に建立されるに至った
そして幻の特年兵はようやく蘇った
そのうえ 特年兵たちが国の母と崇めた皇后陛下の御歌を碑に賜わり 母と子の対面の象徴として表わしこゝに刻む
除幕式には 特年兵ともゆかりの深い高松宮両殿下の御台臨を仰ぐ栄誉に浴した
また 全国の生存者が亡き友の冥福を祈るため それぞれ各県の石47個を持ち寄り碑の礎に散りばめた
吾々は 今は還らぬ幼い戦友の霊を慰め 永遠に安らぎ鎮まらむことを願うと共に 特年兵を顕彰し その真心と功績を後世に伝え祖国繁栄世界平和を祈願しながら尽力することをこゝに誓う

昭和46年5月16日
海軍特年兵生存者一同
建立委員長 小塙精春 撰文謹書

碑名揮毫 昭和46年5月16日
元海軍大臣 海軍大将 野村直邦 敬書

(碑文より)

海軍特年兵の碑
海軍特年兵之碑
(東京都渋谷区神宮前・東郷神社境内)

香淳こうじゅん皇后御歌

やすらかに
ねむれとぞ思ふ
君のためいのちささげ志
ますらをのとも

(平成18年1月24日)

【「海軍特年兵之碑」建立の経緯】 

「東郷神社」の境内に「海軍特年兵之碑」が建立され除幕式が執り行われたのは昭和46年5月16日のこと。
だがその場所に建てさせてもらうのは大変な難儀で「特年兵などは小さな兵隊なのだから潜水艦の碑の裏に小さいのを建てればよい、あんな良い場所は絶対だめだ」と強硬に反対された。
「太平洋に向けて建てたいのです」と言ったら「日本はどちらを向いても海だ」と。
それ以前にさんざん各所を捜しまわったあげく「東郷神社」にお願いすることにしたのだが、「碑など建てることは絶対許可できない」と拒否し続けられていた。
だが、特年兵がまったく世間にも知られていない年少の兵士であることに「奇異」の感じがあったのか、「全国的な規模なら話にものるが」となってきた。

それまで横須賀鎮守府所属の1期兵のみの発起人も、呉・佐世保・舞鶴などの人たちも捜し出したので、何とか全国的な組織となった。
だが碑を建てる資金がない。
1期兵の有志は資金集めに奔走したが、なかなか目標に達しない。
「東郷神社では碑など建てさせないと言っている。死んだ者のことなど坊主にまかせて、生きている者同士が楽しくやるのが戦友会だ」と、仲間の寄付を止めさせる者もいた。
そのようなこともあったが、戦死者のいる2期兵も賛同し、3期、4期も会を結成して資金集めに協力してくれたので、「特年兵之碑」はようやく願望の地に建立することができたのである。

(参考:小淵守男著 『巡洋艦「大淀」16歳の海戦』 2002年3月 光人社 発行)

(平成30年12月17日 追記)


海軍特別年少兵

昭和16年7月、海軍特別年少兵制度を創設、「官機密第5921号」により、従来16歳以上とされていた志願兵年齢を特例として、15歳以上16歳未満と定めた。
(名称:「特別年少兵」または「特例年齢兵」)
昭和16年11月19日、「達第351号」により年齢を更に1年引き下げ、教育期間を1年6ヶ月以内と定める。
(名称:「練習兵」)

昭和17年9月1日、第1期生3,500名が各海兵団に入団
横須賀鎮守府=武山海兵団(旧横須賀第2海兵団)
呉鎮守府=大竹海兵団(呉海兵団大竹分団)
佐世保海兵団=相浦海兵団(佐世保第2海兵団)
舞鶴海兵団=舞鶴海兵団(団外兵舎)
※入団3日後に修業期間を約1年に短縮
※特年兵は第1期〜第4期まで、総数は17,000名〜18,000名

将来の海軍中堅幹部養成を目的とした教育方針、教方法などは、予科練を作った尾崎俊春中佐が中心となって進められたといわれている。
(教官)
普通科=師範学校出身の下士官が担当
英語=文官教官が担当
分隊長=海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校出身者、海軍兵学校選修科出身者が担当
分隊士=選修科出身の特務士官、予備学生出身者が担当
教班長=歴戦の下士官が担当
※第3期、第4期の整備科は4つの鎮守府合同となる。

練習兵教程後は全員が実施部隊を経ず普通科練習生へ直行、各兵科別の専修を受けた。

水兵科 横須賀海軍砲術学校 対空(高角砲・機銃)、測的幹部
館山海軍砲術学校 対空(高角砲・機銃・陸戦)、測的
海軍航海学校 運用術・操舵術
海軍水雷学校 田浦校・大竹潜水学校・柳井潜水学校
海軍対潜学校 機雷
海軍電測学校 (藤沢)
機関科 大楠海軍機関学校 主機、補機、内科術(ディーゼル)、電気(発電・電動)
整備科 第2相模野海軍航空隊 飛行機、発動機整備、
洲ノ崎海軍航空隊 航空写真
藤沢海軍航空隊 通信兵器
郡山海軍航空隊 航空計器、電気
工作科 海軍工作学校 木工(模型・舟艇)、金工(機械・鍛治・鋳物・板金・仕上・溶接)
看護科 横須賀海軍病院練習部
主計科 海軍経理学校 (築地)(品川)

(参考:『丸・戦争と人物8・陸海軍学校と教育』)


【海軍特年兵】 

第1期生:昭和17年9月1日付で各鎮守府の海兵団に入団。
第2期生:昭和18年7月1日付で各鎮守府の海兵団に入団。
第3期生:昭和19年5月25日付で各鎮守府の海兵団に入団。
第4期生:昭和20年5月25日付で各鎮守府の海兵団に入団。
第1期生から第4期生まで約1万7千余名が入団した。
入団時の年齢は、正式には満14歳8ヵ月以上満15歳9ヵ月未満となっていたが、14歳5ヵ月の年少者も含まれていた。

【海軍第1期練習生】
始めは「特年兵」と呼ばれていたが、第1期生入団半年後に「海軍第1期練習兵」という正式名称が付けられた。
海軍第1期練習兵は、横須賀、呉、佐世保、舞鶴の各鎮守府で合計3千700余名。
このうち横須賀は1千400余名で、内訳は11、12、13の3個分隊が水兵科、ほかに整備科2個分隊、機関科1個分隊、主計・看護・工作の合同が1個分隊。

練習兵の1個分隊の構成は220名で、それが13の教班に分かれ、下士官の中から選り抜かれた教班長が指導に当たった。
練習兵は一般の志願兵と異なって、近代戦に必要な科学兵器や特殊兵器を十分使いこなせるような兵に育て上げ、将来、帝国海軍の中堅幹部として活躍できる者を養成するのが目的。
このため、基礎となる学問が必要なので、中学中級程度の普通学をみっちり教えられる。
この普通学の教員には、師範学校を卒業して徴兵で海軍に入った人たちで、なおかつ、実戦の体験者の中から選ばれた。
教員は1個分隊に5名配属され、国語・国文法・数学・幾何・三角法・物理・地理・歴史・英語等、それぞれ得意とする科目を担当した。

【出陣】
第1期生のうち半数が戦歿し、2期生も3分の1ちかくの戦死者があるという。
戦死者名簿を調べてみると、昭和18年の末から19年の初頭にで、すでに戦死者がでており、主にマーシャル方面やソロモン海域となっている。
そして昭和19年の10月25日前後にも多数の戦死者を出しているのは、レイテ島をめぐる熾烈な攻防戦に多数の特年兵が参加していたことを物語る。
レイテ海戦(スリガオ海峡海戦)の戦艦「山城」には第2期特年兵もかなり乗り組んでいたというから、彼等の中には満16歳にもならない少年がいたことは間違いない。

特年兵が、どのような戦闘の中で散っていったのかは、その全貌を知るすべもないが、各艦艇に、また各戦場の広域にわたって配属されていたことは明白である。
また玉砕の島、サイパン島や硫黄島などにもかなりの数の特年兵が配属されており、第1期兵の大越晴則君は硫黄島から、村上三郎君はサイパン島から奇跡の生還を果たしている。
昭和20年4月7日、戦艦「大和」を旗艦として出撃した水上特攻隊の中にも多数の特年兵が乗り組んでいた。
(出撃まえに“前途有為な”海軍兵学校出身の候補生70数名は退艦させられたが、彼らより若い特年兵は何故か退艦させられなかったらしい)

(参考:小淵守男著 『巡洋艦「大淀」16歳の海戦』 2002年3月 光人社 発行)

(平成30年12月17日 追記)




献木

第2期海軍特別年少兵慰霊祭記念
熊本県護国神社

昭和47年3月19日植樹
平成10年5月10日改建 第27回熊本大会記念


(平成23年2月8日)

【標柱・碑文】

海軍特別年少兵とは数え年14歳未満の者が志願して軍人となったもので昭和16年9月1期生が入団し4期生は入団間もなく終戦となる。
1期生84%2期生40%の戦死者を出している。
2期生一同全国から馳せ参集し第1回慰霊祭を挙行した。


著者は特年兵第1期生。
他の特年兵の動向に関しても記述している。

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