柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ

生没年不詳(660年頃〜720年頃)


柿本朝臣は、和邇わに氏の同族。
生没年・経歴などは不詳。
『万葉集』に人麻呂作歌とあるものは長歌18首、短歌64首。
年代判明歌中の最初の歌は持統3年(689年)の草壁皇子挽歌、最後は文武4年(700年)の明日香皇女挽歌。
漢詩文の影響を受け、初めて文字によって歌を記しながら作っていった歌人で、その反省的意識から、歌形や対句・枕詞・序詞などの技法を完成し、流れ行く時間とせめぎあう新たな抒情を展開した。


人丸塚



人丸塚ひとまるづか
(京都市・壬生寺)





(平成19年9月2日)

人丸塚

万葉集で知られる歌人・柿本人麻呂の灰塚と伝える。
現在の碑は大正時代の建立である。
「人麻呂ひとまろ」が「人丸」となり、「火止まる」に通じることから、火除けのご利益がある。

(説明板より)

壬生寺



壬生寺

(京都市中京区坊城通り仏光寺北入る)





(平成19年9月2日)

壬生寺 みぶでら

律宗に属し、本尊は地蔵菩薩立像(重要文化財)である。
寺伝によれば、正暦2年(991)三井寺みいでらの快賢僧都かいけんそうずにより創建され、古名を地蔵院、宝幢三昧寺ほうとうさんまいじなどと呼ばれていた。
その後、火災により堂宇を焼失したが、正元元年(1259)平政平たいらのまさひらにより復興され、さらに正安2年(1300)円覚えんかく上人が、仏の教えを無言劇に仕組んだ、壬生狂言(重要無形民俗文化財)を創始し大いに栄えた。
昭和37年に本堂が焼失したため、昭和45年に再建された。
また、境内北にある壬生狂言を演じる舞台、大念仏堂(重要文化財)は、安政3年(1856)の特異な構造物である。
当寺境内は、新選組が大砲や剣術・馬術の訓練をした場所として有名であり、壬生塚には近藤勇の胸像、芹沢鴨らの墓塔がある。
池田屋騒動があったと言われる7月16日には、毎年、慰霊供養祭が行われる。

京都市

(説明板より)

寺務所・朱印 受付時間
午前8時30分〜午後5時
新選組隊士遺跡 壬生塚 公開時間
午前8時30分〜午後4時30分 1人100円
壬生寺歴史資料室 公開時間
午前8時30分〜午後4時30分 大人200円



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