鎌田正清 かまた・まさきよ

保安3年(1123年)〜平治元年11月23日(1160年1月3日)


鎌田正家(政家)ともいう。
相模国の武士・通清の子。
母は源義朝の乳母。
義朝の家人として保元・平治の乱に従軍。
平治の乱の敗北後、義朝と共に妻の父・長田忠致ただむねを頼り尾張国に下ったが、忠致により義朝が謀殺され、正清も忠致の子・景致に殺された。
源平争乱で活躍した鎌田盛政・光政兄弟は正清の子。


鎌田政家と妻の墓



鎌田政家並びに妻平氏之墓

(愛知県知多郡美浜町・野間大坊)





(平成18年4月3日)
大御堂寺本堂


大御堂寺本堂

(愛知県知多郡美浜町・野間大坊)

現在の建物は3度の火災等にあり宝暦4年(1754)に鎌倉様式にのっとり再建された。



(平成18年4月3日)

寺院沿革

正式には鶴林山大御堂寺おおみどうじ(通称:野間大坊のまだいぼう)といいます。
その歴史は古く天武天皇(673〜86)の時代に始まり聖武天皇(723〜49)の時、行基菩薩が中興します。
後に弘法大師が諸国行脚の際留錫し、一千座の護摩を焚き、庶民の幸福を祈りました。
承暦年間(1077〜81)に白河天皇の勅願寺として、大御堂寺と称せられました。
後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために建久元年(1190)に開運延命地蔵尊と不動明王・毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営します。
そして秀吉公、家康公の庇護を受けて発展。
現在尾張地方随一の祈祷寺として信仰を集めています。

(リーフレットより)




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