金森吉次郎像 平成19年4月2日

金森吉次郎 かなもり・きちじろう

元治元年(1864年)〜昭和5年(1930年)

岐阜県大垣市・大垣公園でお会いしました。


大垣輪中(現:大垣市魚屋町)に生まれる。
父の金四郎は篤志家として外国貿易や製糸業を手がけた大垣屈指の資産家。
明治21年、25歳の時、大垣輪中が揖斐川の洪水で一面湖となった時に人々の推挙により救済委員となったことが、治水事業に関わる始まり。
その後、県会議員、衆議院議員などを歴任。
「治水のもとは治山である」が持論。
水害の根本解消のため、木曽三川改修の実現を生涯の目標として、父から譲り受けた全財産と一生を治水と山林事業に使い尽す。
また、治水の先人である平田靱負ら薩摩義士の事績を掘り起こし、記念碑を建てるなど、薩摩義士の顕彰にも貢献した。


金森吉次郎寿像



金森吉次郎寿像
(岐阜県大垣市・大垣公園)





(平成19年4月2日)

碑文

金森吉次郎翁壽像記
美濃之為地山峻嶺連亘東北西南則田野■■人煙稠■木曽長良揖斐三大川貫流浩E汪洋支派交錯以灌田圃以疎■■然夏■秋霖古来荐被漲濫漂蕩之害在昔封建之世各藩盡力治水競修堤防且施林政以養水源民得安其堵矣維新之後其制漸弛洪水屡至■害益甚政府改修三大川下流将以除其害明治二十年起工三十八年告竣然不改修上流則未可全絶其■翁夙憂之奮唱其議聳動朝野政府及以大正十年又起工期後十年■此工一成則二市八郡永絶禍根其進國利民福不可勝言翁志■是乎始達馬翁嘗日治水在治山是以又大致力植林要皆莫非■以保安國土矣翁性剛毅明敏清廉自■■生以治山川為巳任挺身盡瘁三十有餘年于茲爾餘奉公大義及教育公益慈善■幽■百篤行亦多人■不■為者自非至誠悪■如此可謂一世儀表矣■翁齢垂耳順健凌壮者後来功効将有不測者為大垣輪中水害豫防組合胥謀銅鋳翁壽像将永紀其功以酬其徳■文■余嘗識翁且美其擧略■之作銘曰
  治水■山  非■■比  一■有警  三過奚■
  奮決■澪  民免魚腹  深■■流  地絶陵谷
  至誠如神  天工代■  山川翁■  翁山川■

碑文

正二位大勲位公爵松方正義題
正三位勲一等男爵田健次郎撰
従六位勲五等水谷弓夫書

大正12年6月竣工
大垣輪中水害豫防組合建之

碑文

金森吉次郎翁銅像成リテヨリ茲ニ20有余年■ニ米英両國ニ對シ宣戰ノ大詔■發セラレ一億一心國家ノ總力ヲ擧ゲテ征戰ノ目的完遂ニ邁進シツツアル時政府當局ニ於テ戰力増強ノ為國内ニ存スル銅鐵ヲ回収スル議アリ本銅像亦自發的ニ供出スベキ旨大垣市ヲ通ジテ慫慂セラル即チ本組合胥謀リ翁ノ遺族ノ同意ヲ得テ昭和18年10月之ヲ政府に献納シ基臺ヲ利用シテ此ノ碑ヲ建設スルニ至レリ翁ノ霊ニシテ知ル有ラバ自己ノ銅像ガ米英撃滅ノ武器ト化セルヲ見テ莞爾泉下ニ領首スルナルベシ聊カ銅像献納ノ顛末ヲ録シ永ク後昆ニ傅フト云ウ

昭和19年3月
大垣輪中水害豫防組合

碑文

治山水の大恩人金森吉次郎翁の寿像が戦力増強のため供出されてからここに拾年翁の銅像復元の希望が澎■たる市民の声となり大垣市と大垣輪中組合とがその建設計画をたて各町内及び連合婦人会の熱心な協賛のもとに広く全市民並びに特志者に呼びかけ浄財を集めて之にあてることにした
爾来義金は陸続として集まり予期以上の成果を収めるに至った
是れ全く翁の遺徳の致すところであって今日再び昔なつかしい翁の偉容を迎え永遠にその鴻績を賛仰することができるようになったことは誠に欣快の至りである。

昭和29年12月
大垣市
大垣輪中水害予防組合


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