平成23年9月14日

狩野芳崖 かのう・ほうがい

文政11年1月13日(1828年2月27日)~明治21年(1888年)11月5日

山口県下関市・覚苑寺でお会いしました。


明治期の画家。
幼名は幸太郎。元服して延信。
長門国長府藩の御用絵師・狩野晴皐せいこうの子。
江戸木挽こびき町の狩野勝川院雅信ただのぶに師事。
雪舟を中心に諸派絵画の研究に努める。
明治10年代半ばにフェノロサと出会い、以後、フェノロサと共に新日本画創造に情熱を傾けた。
狩野派の伝統画法に西洋絵画の構図や色彩、空間表現をとりいれた「不動明王図」や「悲母観音図」などを描いた。
東京美術学校の創立に尽力したが、開校を前に死去。





狩野芳崖先生像

(山口県下関市・覚苑寺)

昭和54年 中村辰治 作



(平成23年9月14日)

碑文

日本画の近代化を開いた芳崖先生は わが郷土の生んだ偉大なる画匠である
先生は文政11年(1828)長府藩の絵師狩野晴皐の長男として生まれ 幼名は幸太郎後に延信と改める
幼児より絵を父に学び十九才 藩費をもって江戸の狩野勝川院に遊学し 勝れた才能と懸命の努力によって同門橋本雅邦とその優を競い 早くも二十三才で塾頭となったが 当時の門流にあきたらず密かに雪舟らの古名画を学び独創を試みた
時あたかも維新動乱の前後で世は絵画をたしなむ者も少なく日々の生計にも事欠いだ
その間実に二十年一途に審美を追求し日本画の近代化をはかった
晩年ようやくその真価を認めらるゝに至ったが 明治21年(1888)11月5日不朽の名作「悲母観音図」を絶筆としてこの世を去った
時に年六十一

昭和54年11月4日
狩野芳崖先生銅像再建委員会 会長 金田満男
建設実行委員
(※ 以下略)





長門鋳銭所跡
(山口県下関市・覚苑寺)




(平成23年9月14日)

国指定史跡「長門鋳銭所ながとちゅうせんしょ跡」

指定年月日 昭和4年12月17日

長門鋳銭所は、奈良・平安時代に長門鋳銭司ちゅうせんしという機関が置かれ銭貨の鋳造を行った工房跡です。
長府地区の西側を限る、准堤峰じゅんていほう(標高176m)東南麓斜面に位置し、鋳銭峰いせんぽうや、火除け道などの銭貨鋳造を物語る地名呼称も残っています。
現在の黄檗宗おうばくしゅう法輪山覚苑寺かくおんじ一帯の約1万4千㎡が史跡として国の指定を受けています。
遺跡の発見は、江戸時代の寛永年間(1624~1643年)まで遡り、現在まで、数度にわたる発掘や調査が行われています。
これらにより、奈良時代の「和同開珎わどうかいちん(ほう)」や鋳型いがた、坩堝るつぼ、鞴ふいごの羽口はぐちなどの銭貨鋳造用具のほか、銭貨鋳造に伴う副産物である銅滓どうさい等が多数出土し、古代銭貨鋳造の事実を明らかにしています。
「和同開珎」の鋳造は、和銅元年(708年)催鋳銭使さいじゅせんしという官職が置かれ、始まりますが、長門鋳銭所の明確な操業時期は分かっていません。
また、長門鋳銭所は、天長2年(825年)には廃され、周防国(山口市鋳銭司すぜんじ)に移ったとされています。
「和同開珎」の鋳造記録が残る、近江国(滋賀県)・河内国(大阪府)・播磨国(兵庫県)などの鋳銭司のうち、工房の場所が特定できるのは、現在のところ長門国のみです。
長門鋳銭所跡からの出土品のうち、下関市立長府博物館および(財)辰馬考古資料館(兵庫県西宮市)蔵品は国の重要文化財に指定されています。

山口県教育委員会
下関市教育委員会

(説明板より)





覚苑寺本堂
(山口県下関市長府安養寺3-3-8)




(平成23年9月14日)

下関市指定有形文化財(建造物)
覚苑寺本堂

昭和61年5月10日 指定

法輪山覚苑寺は、元禄11年(1698)に創建された黄檗おうばく宗寺院で、開基は黄檗宗に帰依した長府藩三代藩主毛利綱元。
開山は、綱元が宇治の黄檗山萬福寺から招いた悦山禅師である。
この建物は、周防三田尻(現・防府市)にあった黄檗宗寺院の海蔵醍醐寺の本堂として寛政6年(1794)に建立されたもので、明治8年(1875)、廃寺となっていた海蔵醍醐寺から覚苑寺に移築され、以後、当寺の本堂(大雄宝殿だいおうほうでん)として利用されている。
構造形式は、桁行けたゆき三間・梁間はりま三間で一重裳階もこし付の吹放し。
屋根は入母屋いりもや造の本瓦葺。
基壇は乱石積で、正面に石階六級を設け、礎石は花崗岩切石上に石造角形礎盤いしづくりかくがたそばんを置く。
軸部は総て面取角柱めんとりかくばしらを使用し、柱頭は粽ちまき形、足元は丸面となっており、身舎もやは飛貫ひかん・頭貫懸鼻とうかんかけはな付・台輪だいわ、中央間四面及び両脇間を虹梁こうりょうで繋ぎ、裳階は地覆じふく・腰貫こしぬき・飛貫・頭貫・台輪で構成されている。
組物は身舎柱上及び大瓶束たいへいづか上に禅宗様出三斗でみつど笹繰付と出桁、裳階柱上及び中備大斗肘木なかぞなえだいとひじき内外は木鼻きばな付となっている。
軒は二軒繋垂木で、妻飾つまかざりは破風はふ板、眉欠まゆかき、化粧棟木に鰭ひれ付かぶら懸魚げぎょを施している。
この建築様式は、本市に遺例の少ない江戸時代の黄檗宗寺院の典型的な特徴を示しており、建築史的な価値が高い。

下関市教育委員会

(説明板より)




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