上越市中屋敷
「春日山城めぐり〜上杉謙信をしのんで〜」の小冊子より
春日山は新潟県上越市内にあって、戦国時代の名将上杉謙信の居城跡として知られ、中世の山城のおもかげをよくのこしているので、早くから国の史跡に指定されました。
高さ180メートル、美しい風景と豊かな史情を味わえるこの山は、鉢が峯と呼ばれていましたが、天徳2年(958)ここに春日神社が創建されて以来、いつしか春日山の名が生まれました。
謙信の手紙には常に「はちかみね」とカナ書きでした。
南北朝時代の初めから、上杉家が代々越後の守護として、府中(直江津)にいて国政をとりました。
春日山城は府中の要害として築かれ、守護代の長尾家がこれを守っていました。
戦国の世、謙信の父長尾為景のとき、直江津の長尾館[だて]にいた為景は、危険をおもんばかって、守護上杉定実や妻子とともに春日山城内に居を移しました。
以来、為景、つづいてその長男長尾晴景、晴影の弟長尾景虎(上杉謙信)、その養子景勝が相ついで城主となりました。
戦国時代特有の根小屋式要害に改造したのは為景のようです。
上杉謙信の在城は約30年間に及び、その間に著しく強化され、難攻不落の要害となりました。
遠隔の地に出陣中の謙信から春日山留守将にあてたいくつかの書状によって、その強化の模様がわかります。
謙信の行動範囲はきわめて広く、越後国内はもちろん、信濃に、関東に、越中、加賀、能登に出陣しました。
遠く相模の小田原城を囲んだこともあり、関東に越年すること6回に及びました。
上洛2回、おのおの数ヶ月間近畿に滞陣しました。
謙信はその留守中を敵におそわれるのを案じて、城の強化に努めたのでしょう。
慶長3年(1598)春、上杉景勝が豊臣秀吉の命によって会津に転封し、堀久太郎秀治が城主となるや重臣堀監物[けんもつ]直政が監物堀を築いて城の近代化に努めたものの、まもなく直江津川東に壮大な福島城を築いてここに移り、春日山城を廃しました。
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春日山城の本丸・天守台跡
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春日山神社の入口の高台に立つ上杉謙信の銅像です。 |
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林泉寺にある謙信のお墓です。
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春日山神社記念館
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謙信公遺品
郷土民具類
入館料:一般200円 小・中・高校生100円
開館日:4月1日〜11月30日まで(無休)
(平成13年現在)
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春日山城跡ものがたり館
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(平成13年現在)
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