香取秀真 かとり・ほつま

明治7年(1874年)1月1日〜昭和29年(1954年)1月31日


千葉県出身。
明治30年(1897年)東京美術学校鋳金科卒。
母校で鋳金史を教える一方、東京鋳金会・帝展第4部(美術工芸部門)の創設など、金工の振興に大きく寄与した。
昭和8年(1933年)から東京芸術学校教授・帝室技芸員などを歴任。
文化勲章受賞。
金工史研究者としても優れた業績を残す。
また、正岡子規門下の歌人としても知られる。


香取秀真おいたちの地



香取秀真おいたちの地・歌碑
(千葉県佐倉市・麻賀多神社)





(平成18年8月30日)

佐倉市指定文化財 香取秀真おいたちの地

昭和49年3月26日指定

鋳金家として知られる香取秀真は、明治7年(1874)1月1日に印旛郡船穂村(現印西市舟尾)に香取蔵之助の次男として生まれた。
明治11年(1878)に秀真は麻賀多神社宮司郡司秀綱の養子となり、一時生家に帰ったが明治24年(1891)に上京して本所根津片町の美術講習所に入学するまでの少年期を過ごしたところである。
その後秀真は東京美術学校鋳金科教授となり、帝国美術院会員ともなる。
帝展・文展で活躍し、製作活動のほか、金工史の研究や文化財保護にもかかわるなど多大な功績を残し、昭和28年(1953)には文化勲章を受章した。

平成2年3月31日
佐倉市教育委員会

(説明板より)

麻賀多神社



麻賀多神社
(千葉県佐倉市鏑木町933−1)





(平成18年8月30日)

麻賀多まかた神社略記

御祭神
稚産霊命わかむすびのみこと
お名の「稚」は若い、「産霊」は形成するの意で、若いものを育てあげるという御神徳を表わしておられ、人・作物・事業等の生成、発展をお加護くださる神様で、お稲荷さまの御親神にあたられます。

御由緒
麻賀多神社という社名は、今から1,050年ほど前の政令というべき「延喜式」の下総の項に、この社名がすでに記載されております。
佐倉の総鎮守、産土うぶすなさまで遠い昔から「まかたさま」とこの地方の人々にしたしまれ崇敬されてきたお社です。
徳川時代は佐倉城の大手門近くに位置する神社なので歴代の城主、家臣も城地鎮護の神としてあがめました。
現在の御社殿は天保14年藩主堀田正睦公が再建、境内前面の石垣は明治初年に最後の藩主同正倫公が奉納されたものです。

御例祭
10月14・15・16日
御神幸に使用される大神輿(台輪巾151センチ、市指定文化財)は享保6年、当時の藩主稲葉正知公の家臣と町方が協力し金子300両の経費をかけ製作されたもので、今日数少ない江戸神輿の代表的な存在です。

(説明板より)




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