加藤省吾 かとう・しょうご

大正3年(1914年)7月30日〜平成12年(2000年)5月1日


「みかんの花咲く丘」誕生の地






童謡「みかんの花咲く丘」誕生の地

(埼玉県深谷市・富士浅間神社)






(平成18年10月18日)
顕彰碑と歌碑



加藤省吾顕彰碑と歌碑
(埼玉県深谷市・富士浅間神社)





(平成18年10月18日)

歌碑 歌碑

加藤省吾顕彰碑

童謡「みかんの花咲く丘」は、およそ日本人であるなら、誰一人として知らぬものはいない不朽の名作として多くの子供達に歌われ、親しまれ、子供達の豊かな情操を育む上で、多大の影響力を及ぼしてまいりました。
そして、この歌の作詞をされたのが加藤省吾先生でございます。
先生は、昭和20年5月、ご両親の住んでおられた、当時の深谷町本住町に疎開されましたが、「みかんの花咲く丘」は、この後まもなく作詞されました。
つまり、この名作は、深谷の地で、先生が故郷静岡に思いをはせながら、誕生したのでございます。
戦後の困窮と混乱の時代に、「りんごの歌」とともに、人々に希望と感動を与え、多くの日本人の心の琴線に、深く訴えたという意味では、この歌は、日本人の心の美しい側面を見事に歌い上げているのでございます。
私も、この歌の、美しく、優しく、そして、哀調を帯びた歌詞の一節一節を耳にするとき、深く感動せずにはおられません。
先生は、このほかにも、「かわいい魚屋さん」を始め「笛吹童子」、「怪傑ハリマオ」、「おらあ三太だ」等、当時の人気ドラマの主題歌も作詞され、しかも、深谷小学校の校歌までも作詞されておられます。
当年77歳の先生は今も日本大衆音楽協会理事長の要職に就いておられ、また、平成元年の春の叙勲におきましては長年にわたる作詞家としての功績により、勲四等瑞宝章を授章されました。
先生の深谷での足跡を、ここに記録し、顕彰し、後世にその生涯の一節を伝えるとともに、偉大な作詞家の歴史を語り継ぎ、本市の芸術・文化振興の一助とするため、市民有志の熱き情熱により、この歌碑は、建立の運びとなった次第でございます。

平成4年4月吉日
深谷市長 福嶋健助 撰文謹書

(碑文より)

富士浅間神社



富士浅間神社
(埼玉県深谷市本住町16)





(平成18年10月18日)

富士浅間神社ふじせんげんじんじゃ

この社の祭神は木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと 瓊々杵命ににぎのみことで 社宝は宗源宣旨と宗源祝詞である。
明治以前には智形神社とよばれ、深谷城内に鎮守としてまつられた五社の一つで、永享えいきょう12年(1440年)勧請と伝えられている。
江戸時代、寛永年間、深谷城主酒井讃岐守が再興した。
深谷城は、上杉房憲が康正2年(1456年)古河公方こがくぼうとの戦いに備えて築城したもので、天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻略により落城した。
江戸時代には、松平、酒井氏が居城したが、寛永11年(1634年)廃城となった。
この城は低湿地に取り巻かれた平城で、社をめぐる池と水路は深谷城外堀の名残りをとどめている。

昭和59年3月
深谷上杉顕彰会

(説明板より)


童謡  作詞家



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