川口為之助像 平成16年8月28日

川口為之助 かわぐち・ためのすけ

明治14年(1881年)12月5日〜昭和37年(1962年)2月23日

千葉県千葉市・県警本部前の羽衣公園でお会いしました。


川口為之助像

初代民選千葉県知事
従四位勲三等

川口為之助先生之像

(千葉市・羽衣公園)



(平成16年8月28日)

碑文

■従四位勲三等川口為之助先生は 明治14年12月5日印旛郡志津村■田家に生まれ のち川口家に入り 昭和22年4月初代の民選千葉県知事に当選され 終戦後の混乱時代を■理し 軍事■■下の困難な県政を円満に遂行して 本県開発の基礎を固められた
先生は 昭和3年2月 千葉県議会議長となり のちには千葉県森林組合連合会長 日本赤十字社千葉県支部長等の公職につき 昭和28年4月 参議院議員に当選されて 国政 県政の振興に尽■され また 政友会 自由党 自由民主党の千葉県幹事長 支部長 あるいは連合会長として政党政治の発達と民主政治の確立に■身された
先生は人格高潔で態度は常に毅然たるうちにも時勢に応ずる弾力性をもち 自己の信念を貫きながら円滑に調和の方策を全うされ 千葉県の発展と県民の福利に全生涯を通じて幾多の手腕力量を発揮された
昭和37年2月23日齢80才にして千葉市に没す
その功績は偉大にして永く県民の感謝と敬慕するところである
先生の遺徳を永久に顕彰するため県民有志寄金してこれを建つ

昭和37年8月30日
銅像建設委員長 国務大臣 川島正次郎
銅像製作者 日展評議員 大須賀 力

(※■は判読できなかった文字です。)


千葉県知事は第35代までは官選でした。
次の第36代から公選となり、公選の初代(第36代千葉県知事)が川口為之助氏で、3年8ヵ月知事を務めました。
ちなみに、現在(平成16年)は平成13年4月に就任した堂本暁子氏が第42代として知事を務めておられます。


羽衣の松


羽衣の松

(千葉市・羽衣公園)



(平成16年8月28日)

羽衣の松(由来)

むかし、千葉の亥鼻いのはな下に、千葉せんようの蓮はすの花の咲きほこる池田の池という美しい池があり、その周辺は蓮の花盛りのころには、多くの見物人でにぎわっていた。
いつのころからか静まりかえった夜半になると、ここに天女が舞いおり、かたわらの松の枝に羽衣を掛け、蓮の花の美しさに見入っていたという。
この天女のうわさは、時の城主平常将たいらのつねまさの知るところとなり、常将は、美しい天女をぜひ自分の妻にしたいと思い、家来に松に掛けられている羽衣を隠すように命じた。
羽衣を失った天女は天に帰ることができず、常将の妻となり、やがてりっぱな男の子を産んだという。
このはなしは、京の天皇のお耳にも達し、天皇の命により参内した常将がそれまでの事情をありのままに申し上げたところ、天皇は深く感銘され「これは前代未聞のことであるので、其方の地を千葉の蓮の花にあやかってこれから千葉と名乗れ」と仰せられた。
常将はこの時から千葉氏を称したという。(「妙見実録千葉記」等の記載による)
この羽衣公園は、このような伝説を秘め、県民の憩いの場として親しまれてきた。
伝説中の池田の池は、この付近にあったといわれ、天女が羽衣を掛けたという松は、この後、長い間、濃いみどりを失わず、人々は千葉八景の一つとして大切に愛護して来た。
このたび、千葉県の人口500万人突破の、記念事業の一環としてここに羽衣の松を復元し、末永く後世に伝えることにした。

昭和60年3月 千葉県

(説明板より)



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