今回は団体旅行だ!

(マニラ・サンタアナ競馬場・中国人墓地)


平成17年11月19日

いつもは一人で出かける慰霊の旅ですが、今回は団体旅行。
そもそものきっかけは昨年訪れたボソボソの地で川北大隊(野砲兵第53連隊第3大隊)の慰霊碑の欠片を見つけたことがきっかけです。
それをこのHPに紹介したことが縁で遺族会や関係者の方々と知り合うことになり、ついに今回遺族会が巡拝慰霊を企画しました。
そういうわけで、このきっかけを作った責任者(?)として私も同行することになったのであります。

慰霊団は添乗員を含めて19名。
参加者は川北大隊の御遺族、マニラ東方高地で戦没した野戦重砲兵第22連隊の御遺族、更にフィリピン最南端のホロ島で戦没した方の御遺族が同じフィリピンへの慰霊なのでという事で加わわり、私以外は全て御遺族。
私だけが遺族ではないのです。

慰霊団は添乗員を含めた17名が関西空港からマニラへ。
川北大隊長の御遺族と私の2人が成田からマニラへ向かい、空港で合流することとなりました。

成田空港近くのホテルに前泊して、6時半朝食を取り、7時の送迎バスで空港へ。
午前7時半、成田空港集合。
(集合って言ったって2人ですけど・・・)
待つこと約20分。川北さんとは以前慰霊祭でお会いしていたので、多少時間が遅れても心配しませんでしたが、これがお会いしたことがない方だったらヒヤヒヤものだったかも。
おしゃべりしながらチェックイン。

それにしても、爪切りの機内持込は禁止との表示には疑問が残ります。
爪切りが凶器になるのか?
爪切りを押し当てられて脅されてハイジャック犯のいうことを聞く奴なんかいるのかなぁ?
それともどこかの配線を爪切りで切っちゃうかも知れないからダメなのか?

搭乗口でまたまたおしゃべり。
一人旅とは違って話し相手がいるので時間が経つのが早い。
いつの間にか殆どの乗客が搭乗しており搭乗口はガラガラ・・・アララ・・・
あわてて飛行機に乗り込む。
今回は久し振りのフィリピン航空。9時30分発のPR−431便。

時間は9時30分。さぁ、出発だ!・・・・と思ったら・・・アララ・・・飛ばない!
どうも突然搭乗をキャンセルした乗客がいて、その人の荷物を貨物室から降ろすのに手間取っているらしい。
そういうこともあるんですねぇ〜
それにしても、離陸直前のドタキャンって、どういう理由でキャンセルすることになったんだろうか?
他人事ながら気になるところです。
ようやく荷物も降ろせたらしく10時15分、予定より45分も遅れて離陸しました。
関空組は8時55分発。マニラでは5分差で到着し合流することになっているだけに、この遅れは気になる。
皆を待たせちゃうだろうなぁ〜。私のせいじゃないが・・・・申し訳ない。

飛行機はオンボロ飛行機。
機内映画は画像が不鮮明で見づらいし、肘掛にあるチャンネル等のスイッチ類が壊れていてヘッドフォンを配られても何の役にも立たない。
安かろう悪かろうだが・・・・まぁ、墜落しなきゃそれでいいと思うしかないか。

マニラに無事到着。
どうせ急いで降りてもスーツケースは直ぐには出てこないのだからとノンビリと最後のほうで機内から出る。
(いつも思うのですが、我先にと人を押しのけて降りようとする人の気が知れないのですよね)
これが良かったのかも知れない。
通路で私の名前を書いたカードを持った職員が立っているのに気が付いた。
漢字ならわかるけど、ローマ字だからうっかり見逃すところであった。
(すでに大半の乗客は降りてしまっていて、ガランとしていたので気が付いたのです)
職員の案内で無事に関空組と合流。

マイクロバスに乗り、いざ、最初の訪問地「旧マニラ競馬場」へ向かいました。
バスの中で両替。1万円が4700ペソでした。(1ペソ=約2円)

サンタ・アナ競馬場 サンタ・アナ競馬場
(SANTA ANA RACE TRACK)

(旧マニラ競馬場)

ここは、川北大隊が一時滞在した場所だそうです。
建物は当時は木造だったとか。現在の建物は戦後コンクリートで造られたものだそうです。
ここは内部に入れないので、車窓から見るだけで訪問は終り。

続いて向かったのは「中国人墓地」
ここは川北大隊がマニラに滞在していた時に馬を散歩させた場所だそうです。
この競馬場から中国人墓地まで、どこをどう走っているのか、到着するまでかなりの時間がかかりました。
当時は人と馬をこんなに離していたのだろうか?
中国人墓地に向かう途中の町並み・街路樹を見てフッと思い出した。
4年ほど前だろうか、祖父の部隊が滞在したと思われるサン・ラザロ(SAN LAZARO)競馬場に行ったことがあるのだが、その時に通った道にそっくりなのだ。
日系女性ガイドの「じゅん子さん」に確認したら、サン・ラザロ競馬場は中国人墓地の近くにあるが、今は取り壊されてショッピングセンターに変わっているという。
やっぱりサン・ラザロ競馬場の近くの町並みだ!
そうなると疑問が生じる。
サンタ・アナ競馬場から中国人墓地までは直線で約4.5kmある。
しかし、サン・ラザロ競馬場からは直線で約500mなのだ。
(帰国してから地図で調べたんですけど・・・)
そうなると、サン・ラザロ競馬場のほうが近くて便利だったのではないだろうか?
それとも、あまりの混雑でやむなく遠く離れた競馬場に兵隊たちは滞在したのか?
軍の動きは必ずしも理屈通りにはいかないので、こういうこともありえたかもしれません。

中国人墓地はかなり広大な敷地のように思われましたが、入口のガードマンにカメラなどが見つかるとマズイので隠してくれとのこと。
バスは一気に敷地内に入り、墓地の中を走り・・・・ここでトイレ休憩。
墓地の敷地内は撮影できると言われましたが、敷地全体か入口を撮影できなきゃ意味がない。
バスが止まっているところは撮影ポイントとしてはいい場所じゃない。
結局、ここでの撮影は諦めました。

墓地内の売店で小袋のポテトチップスを買う。5ペソ(10円)なり。

今回はいつもの旅と違って団体旅行。
この制約に早くも直面してしまった。
京都にいる河原井さん(元大本営特種情報部)に今回の旅のビデオを送ってあげようとビデオカメラを持ってきたのだが、ビデオを撮影し、ホームページ用にデジカメで撮影し、更に記録も付けるというのは団体行動では無理でした。
一人旅なら車の後部座席から四方を見渡してどこを走っているか確認できますが、バスではこれは無理。
「この辺から全体の景色を撮るから止まって!」って言うわけにもいかない。
皆からあまり離れず、皆さんに迷惑をかけぬようにしなくてはならないのだから、3つの仕事をこなすのは無理。
結局、メモを取ったり時間を確認したりという記録を取るのはサボってしまいました。
まぁ、一人で旅していても、これはかなり大変なんですけどね。
各地でちょくちょく一息つきながらじゃないと私はメモ一つ取れないのですよ。
のろまというか・・・怠け者というか・・・
ただ皆の後をついて歩くだけで精一杯になってしまいました。
(帰国してから、こんなに記録していなかったのかと唖然!)



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