川崎平右衛門定孝像 平成18年2月19日

川崎定孝 かわさき・さだたか

元禄7年3月15日(1694年4月9日)〜明和4年6月6日(1767年7月1日)

東京都府中市・府中市郷土の森博物館でお会いしました。


元文3年(1738)の凶作により崩壊の危機に瀕した武蔵野新田に対し、翌年、30人扶持の新田世話役として各種の保護政策を打ち出した。
延享元年(1744)代官となる。
多摩川の水害復旧、美濃国諸河川の治水に努めた。
明和4年(1767)勘定吟味役となり石見銀山奉行を兼帯した。


川崎平右衛門翁像



「川崎平右衛門翁」像

(府中市郷土の森博物館)





(平成18年2月19日)

碑文

川崎平右衛門定孝翁は、元禄7年(1694)3月、多摩郡押立村(現府中市押立町)に生れ、同村の名主として、新田開発や多摩川の治水に活躍した。
元文4年(1739)8月、南北武蔵野新田世話役を命ぜられ、折から凶作で壊滅の危機にひんしていた武蔵野新田村々の救済と復興に尽力した。
その功により、幕府の代官に抜擢され、美濃国(現岐阜県)輪中地帯の治水事業や、石見国(現島根県)大森銀山の経営等にあたり、多大な功績を残し、各地の民衆から敬慕されるところとなった。
明和4年(1767)4月、勘定吟味役に昇進、諸国銀山奉行を兼任したが、同年6月、73歳で没した。

平成3年5月
府中市

制作者 関 頑亭
題字 渡辺紀彦

川崎平右衛門定孝

川崎平右衛門定孝は、元禄7年(1694)3月、多摩郡押立村(現在の府中市押立町)に生まれました。
平右衛門は同村の名主として積極的に新田の開発や多摩川の治水に取り組む一方で、私財を投じて近郷の窮民を救ったといわれています。
こうした平右衛門の功績に対して、幕府より大岡越前守を通じてサンシュユの苗木を下賜され、それを新田村々の名主等に分け与えたと伝えられます。
その後平右衛門は幕府代官として、岐阜の輪中地帯での治水事業や、島根県石見銀山の採鉱事業に大きな業績を残し、各地で人々から敬慕されました。
このように一介の農民から幕府財政をつかさどる勘定所の要職にまで昇進をとげた平右衛門でしたが、明和4年(1767)、江戸で73歳の生涯を閉じました。
たえず農民の立場に立ち、救済策を実行した平右衛門をたたえ、出身地府中の、郷土の森に銅像を建立し、あわせて銅像の背後にサンシュユを植栽して、末永く後世に伝えるものです。

府中市郷土の森

(説明板より)


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