軽巡 名取 なとり


軍艦名取殉職諸士之碑



軍艦名取殉職諸士之碑
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

軍艦名取殉職諸士之碑

二等巡洋艦
大正11年9月15日三菱長崎造船所で竣工
「長良」型の2番艦

大正11年3月12日、南洋方面で演習中にボイラーが爆発し、一戸機関中尉以下11名の殉職者を出した。
碑はこの時の殉職者の霊を祀る。
なお、「名取」は太平洋戦争に参加し、歴戦奮闘の末、昭和19年8月18日午前7時5分、敵潜の雷撃を受け、レイテ島東方海面において沈没。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【長良型】

「球磨」型に続いて建造された本型の最大の特徴は、搭載する魚雷が53.3センチから61センチに拡大したことと、陸上機を最初から搭載したことである。
搭載機は前部艦橋に格納庫を設け、2番主砲上に滑走台を設置して一〇式艦上戦闘機(陸上機)を運用した。
この方法では着艦することはできないが、カタパルトの開発が終わっていないため、航行しながら発艦させるにはこの方法しかなかった。
艦橋を格納庫としたため、艦橋構造は大きな箱形となり、本型の特徴となっている。
しかし、この方法で実際に艦載機が運用されることはほとんどなかった。
また、前型の「球磨」型から、1号機雷と呼ばれる浮遊式連繋機雷が搭載されているが、これは艦隊決戦に先立って敵艦隊の進撃が予想される進路に事前に敷設して、決戦を有利に導こうとするものである。
カタパルトの搭載は昭和7年以降に順次行なわれ、当初は九〇式二座水偵が搭載されたが、その後九四式式三座水偵、九五式二座水偵などが搭載された。
また、第2艦隊の水雷戦隊の旗艦には、九六式、九八式の夜間偵察機が搭載された。
この機体は「夜偵」と呼ばれ、夜間の長時間飛行を目的とした単発の飛行艇形式の偵察機である。

【要目】(長良・昭和9年)
公試排水量:6260トン
機関出力:9万馬力
速力:34.5ノット
航続力:14ノットで5000海里
乗員数:450名
兵装:14cm単装砲×7
    13mm4連装機銃×1
    13mm連装機銃×2
    61cm連装魚雷発射管×4
飛行機:射出機×1、偵察機×1

【同型艦】
長良 大正11年4月21日竣工〜昭和19年8月7日戦没
五十鈴 大正12年8月15日竣工〜昭和20年4月7日戦没
名取 大正11年9月15日竣工〜昭和19年8月18日戦没
由良 大正12年3月20日竣工〜昭和17年10月25日戦没
鬼怒 大正11年11月10日竣工〜昭和19年10月26日戦没
阿武隈 大正14年5月26日竣工〜昭和19年10月25日戦没

(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)


名取

南方作戦におけるフィリピン攻略部隊の水雷戦隊旗艦として参加。
昭和17年3月1日、バタビア沖海戦において、水雷戦隊旗艦として参加。
重巡「最上」「三隈」と協同して、重巡ヒューストン及び豪州軽巡パースを撃沈。
昭和18年1月9日、アンボンにおいて米潜水艦および爆撃機の攻撃を受けて中破。
昭和19年8月18日、サマールの東方において、潜水艦ハードヘッドの雷撃を受けて沈没する。

(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)




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