憲兵




憲兵之碑

栃木県憲友会会長 白石岸夫 謹書
栃木県護国神社

栃木県憲友会有志一同
平成7年5月9日 建之


(平成22年10月14日)

守護憲兵の碑



守護憲兵之碑
(東京都千代田区・靖国神社)





(平成20年12月16日)

守護憲兵之碑

憲兵の任務は監軍護法に存したが、大東亜戦争中は更に占領地の行政に或は現地民族の独立指導に至誠を尽くした。
又昭和20年3月10日の東京大空襲の戦火が靖國の神域を襲うや神殿を挺身護持したのも憲兵であった。
然しその陰には異国の戦線に散華した幾百万の英霊と、いわれなき罪に問われ非命に斃れた同僚憲友があったことを忘れてはならない。
靖國神社御創立百年に当る昭和44年4月6日この功績を顕彰し後世に伝承するため全国憲友会連合会より当社に同碑が奉納され、更に同会創立40周年の平成5年4月8日にはその記念事業として会員一同、建立当時を振り返り憲友幾万の心の碑であるこの碑が永久に護持され且つ靖國の御社頭の永遠なる御安泰を願って真心籠る多額の基金が寄せられた。

(説明板より)


【ビルマ憲兵隊】

ビルマ憲兵隊は1943年(昭和18年)7月15日の時点で将校50名をはじめ総勢991名の大所帯だった。
憲兵の任務は占領地の警察業務、軍紀維持、公安対策、防諜など幅広かったので、防諜専従のスタッフはそれほど多くなかった。
彼等は反英活動で逃亡中のバーモー博士をマンダレーの山中から救出し、ビルマ新政府の首相にすえることに貢献した。
アキャブに投下されたイギリスのスパイを逮捕し、説得して逆スパイとして利用した。
アキャブ方面の海岸にスパイとして上陸した英印混血のインド人6名をジャングル内で追跡し、4名を射殺した。
ビルマ北部のカレン族のスパイ4名を鉄道爆破容疑で逮捕し、イギリス人将校1名を射殺したのは1943年3月だった。
1932年(昭和17年)8月1日から43年(昭和18年)12月31日の間に、地上からビルマに侵入した連合軍側のスパイ294人を逮捕した。

【アキャブ憲兵分隊】

1943年(昭和18年)初頭、第28軍司令部は、特務機関を駆使して、英印軍の情報、地形地物の調査、インド国民軍(友軍)の指導、原住民の宣撫工作を懸命に展開していた。(アラカン工作)
一方、アキャブ奪回を目指す英印軍は、アキャブ周辺に落下傘降下による軍事諜者(スパイ)を盛んに潜入させていた。
かくして戦闘の背後で、日英両軍の熾烈な謀略戦が展開されていた。
アラカン地区には各種弱小民族が雑多に居住していたが、特にアラカン回教徒のインド人とビルマ人の対立相剋が激しかった。
日本軍の進出とともにビルマ人が日本軍に協力すると、インド人は英印軍側に与みして、両種の対立は激化の一途を辿った。
このためアキャブ憲兵分隊や各兵団配属憲兵隊も、この謀略戦に巻き込まれ、諜者、通敵住民の検挙弾圧に活躍した。

(参考:山本武利 著 『特務機関の謀略〜諜報とインパール作戦〜』 吉川弘文館 1998年12月第1刷発行)

(平成28年3月8日 追記)




献木
熊本憲友会 元憲兵
熊本県護国神社

鎮魂 大東亜戦争終戦50年
平成7年6月11日建立


(平成23年2月8日)



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