機動艦隊戦没者慰霊碑

(愛知県田原市・伊良湖岬恋路ヶ浜入口)


機動艦隊戦没者慰霊碑 平成20年4月5日

機動艦隊戦没者慰霊碑



機動艦隊戦没者慰霊碑
(愛知県田原市・伊良湖岬恋路ヶ浜入口)





(平成20年4月5日)

慰霊碑の由来

この碑は大東亜戦争における海軍機動艦隊戦没者の招魂慰霊碑で 元第1機動艦隊生存者潮会と戦没者遺族有志1588名の発起により建碑された
大東亜戦争中 わが陸海軍の戦没者と一般国民の戦没者は 250余万柱の多きを数えたがこの建碑により 機動艦隊戦没者の遺烈を偲びさらに彼我全戦没者と民間全死亡者に哀悼の誠を捧げて 世界の恒久平和と海事発展を祈念したものである
この碑は昭和47年11月3日完成除幕された
次いで翌昭和48年10月20日高松宮殿下の台臨を仰いで この地で合同慰霊祭が執り行われさらに昭和49年より11月3日をもって全国海洋戦没者合同慰霊祭の日と定め これを恒例として今日に至った
この慰霊碑には 艦隊戦没者の外 広く海洋死亡者の芳名録が収納され遺族もしくは戦友の申し出があれば そのつどこれに追記され合祀されることになっている
碑文「君今ここに甦る」は招魂の真情が表されたもので 当時の全国知事会長愛知県知事桑原幹根氏の揮毫になる

昭和50年10月23日
全国海洋戦没者伊良湖岬慰霊碑委員会

(由来碑・碑文より)

君今ここに甦る




『君今こゝに甦る』






(平成20年4月5日)

碑文

大東亜戦争中 わが連合艦隊の主力であった機動艦隊は 開戦劈頭のハワイ マレー沖海戦を初めとし インド洋 珊瑚海 ミッドウェイ サイパン沖 レイテ沖 ソロモン等 太平洋の海空にわたって 身命を挺して連戦敢闘した
これらの海空戦で 航空母艦13隻 戦艦 巡洋艦 駆逐艦 潜水艦 補給船等55隻 航空機約1千余機が喪われ 3万余の将兵が醜の御盾となり君国に殉じた
しかしてその遺骨は水漬く屍となって海底に眠るが 卿等が愛国の至情は 万古国民の儀表であると信ずる
このたび 艦隊生存者と戦没者遺族の悲願をもって 太平洋を一望の下に見渡すこの地を招魂の地と定め 卿等が誠忠遺烈を顕彰して この碑を建立した
ここに改めて 大東亜戦争下の彼我全戦没者及び非命に倒れられた民間全死亡者に心から哀悼の誠を捧げ 海事発展の上に加護あらんことを祈念する

昭和47年11月3日
機動艦隊戦没者慰霊碑建設委員会

慰霊碑から見た海 慰霊碑から見た海

高松宮妃喜久子殿下歌碑




高松宮妃喜久子殿下御歌・歌碑






(平成20年4月5日)

高松宮妃喜久子殿下御歌

昭和56年建碑10周年碑前に立ちて

  わだつみの千尋の底に沈みつつ
            眠れる君等 偲ぶ石ぶみ

平成3年建碑20周年式典に際し

  惜しみても惜しみてもなほあまりあり
             今しこの世に君等ありせば

平成4年11月3日 高平脩一 謹書

(碑文より)

機動艦隊戦没者慰霊碑



機動艦隊戦没者慰霊碑
(愛知県田原市・伊良湖岬恋路ヶ浜入口)





(平成20年4月5日)

全国海洋戦没者伊良湖岬慰霊碑讃歌
君ここに甦る
原興作 作詞
佐伯一郎 作曲

1.ヤシの実寄せる伊良湖岬
  恋路が浜の丘の上
  ひときわ目立つ慰霊碑は
  はるかに望む太平洋

2.思えば海洋戦斗で
  機動艦隊輸送船
  武運拙なく壮烈な
  玉砕遂げた戦友の

3.あわれぞ友は海底に
  深く眠りて収容の
  術も手段もすでになく
  遺品の証遺さずに

4.親も妻子もひたすらに
  勲功をたてて凱旋を
  日夜銃後のきびしさに
  堪えて夢みた幾年ぞ

5.戦終えて時は過ぎ
  英霊合祠の議は熟し
  建てし碑ふさわしく
  君今ここに甦る

6.あゝ英霊よ安らかに
  冥福されて永久に
  わが日の本の彌栄を
  護りたまへと祈るのみ

(銘板より)


真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)

南雲機動部隊主要職員表
部隊(艦) 氏名
第1航空艦隊司令部 司令長官 中将 南雲 忠一
参謀長 少将 草鹿龍之介
参謀(首席) 中佐 大石 保
参謀(航空甲) 中佐 源田 実
参謀(航空乙) 少佐 吉岡 忠一
参謀(航海) 中佐 雀部利三郎
参謀(潜水艦) 中佐 渋谷 龍■たつわか
参謀(通信) 少佐 小野寛治郎
参謀(機関) 機少佐 坂上 五郎
機関長 機大佐 田中 実
軍医長 医大佐 新井 甫
主計長 主大佐 清水 新一
第1航空戦隊 赤城 艦長 大佐 長谷川喜一
飛行長 中佐 増田 正吾
飛行隊長 中佐 淵田美津雄
加賀 艦長 大佐 岡田 次作
飛行長 中佐 佐多 直大なおひろ
第2航空戦隊 司令部 司令官 少将 山口 多聞
参謀(首席) 中佐 伊藤 清六
参謀(航空) 中佐 鈴木栄二郎
参謀(通信) 少佐 石黒 進
参謀(機関) 機少佐 久馬きゅうま 武夫
機関長 機大佐 篠崎 磯次
蒼龍 艦長 大佐 柳本 柳作
飛行長 中佐 楠本 幾登
飛龍 艦長 大佐 加来かく 止男
飛行長 中佐 天谷あまがい 孝久
第5航空戦隊 司令部 司令官 少将 原 忠一
参謀(首席) 中佐 大橋 恭三
参謀(航空) 少佐 三重野 武
参謀(通信) 少佐 大谷藤之助
参謀(機関) 機少佐 吉田 毅
機関長 機大佐 牟田 菊雄
瑞鶴 艦長 大佐 横川 市平
飛行長 中佐 下田 久夫
翔鶴 艦長 大佐 城島 高次
飛行長 中佐 和田鉄二郎
第3戦隊 司令部 司令官 中将 三川 軍一
参謀(首席) 中佐 有田 雄三
参謀(砲術) 中佐 竹谷 清
参謀(通信) 少佐 森 虎男
参謀(機関) 機少佐 竹内由太郎
機関長 機大佐 奥村 敏雄
比叡 艦長 大佐 西田 正雄
霧島 艦長 大佐 山口 次平
第8戦隊 司令部 司令官 少将 阿部 弥毅ひろあき
参謀(首席) 中佐 藤田 菊一
参謀(水雷) 少佐 荒 悌三郎
参謀(通信) 大尉 矢島源太郎
参謀(機関) 機少佐 佐藤 良明
機関長 機大佐 松島 悌二
利根 艦長 大佐 岡田 為次
筑摩 艦長 大佐 古村 啓蔵
警戒隊 第1水雷戦隊司令部 司令官 少将 大森仙太郎
参謀(首席) 中佐 有近 六次
参謀(砲術) 少佐 三上 作夫
参謀(通信) 大尉 岩浅 恭助
参謀(機関) 機少佐 吉川 積つもる
機関長 機大佐 田辺 保里やすのり
阿武隈 艦長 大佐 村山 清六
第17駆逐隊      司令 大佐 杉浦 嘉十
谷風 駆逐艦長 中佐 勝見 基
浦風 駆逐艦長 中佐 白石 長義
浜風 駆逐艦長 中佐 折田 常雄
磯風 駆逐艦長 中佐 豊嶋 俊一
第18駆逐隊      司令 大佐 宮坂 義登
不知火 駆逐艦長 中佐 赤澤次寿雄しづお
駆逐艦長 中佐 戸村 清
駆逐艦長 中佐 緒方 友兄
陽炎 駆逐艦長 中佐 横井 稔
秋雲 駆逐艦長 中佐 有本輝美智
哨戒隊 第2潜水隊      司令 大佐 今和泉喜次郎
伊19 潜水艦長 中佐 なら原 省吾
伊21 潜水艦長 中佐 松村 寛治
伊23 潜水艦長 中佐 柴田 源一
補給隊 第1補給隊 極東丸 特務艦長(指揮官) 大佐 大藤 正直
健洋丸 監督官 大佐 金桝 義夫
国洋丸 監督官 大佐 日台 虎治
神国丸 監督官 大佐 伊藤 徳堯
第2補給隊 東邦丸 監督官(指揮官) 大佐 新美 和貴
東栄丸 監督官 大佐 草川 淳
日本丸 監督官 大佐 植田弘之介

(参考:平塚柾緒著『パールハーバー・真珠湾攻撃』)


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