編成地 | 編成時期 |
千葉県習志野 | 明治34年 |
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『騎兵第13聯隊発祥之地』碑 (千葉県船橋市・東邦大学薬学部・理学部) 平成5年4月29日建立 (平成18年8月31日) |
騎兵第13連隊概史
日露の戦雲漸く急を告ぐる秋 日清戦争の経験に基づき宇内の趨勢に鑑み騎兵大部隊の必要性を痛感せる我が陸軍は明治32年騎兵第1、第2旅団の編成に着手、我が騎兵第13聯隊は騎兵第14聯隊と共に騎兵第1旅団の兄弟聯隊として此の地習志野原の南隅千葉県津田沼町大久保(現船橋市三山)に創設され明治34年12月19日軍旗を拝受す
明治37年2月日露の開戦に及び聯隊は我が国騎兵の父と仰がれし秋山好古旅団長指揮の許勇躍出征 5月遼東半島塩大澳に上陸第2軍に属して曲家店、沈旦堡等の戦闘に於いて世界に名だたるコザック騎兵と交戦赫々たる偉功を奏し早くもその名声を中外に宣揚す
奉天大会戦に於いては敵の右翼を包囲せんとする第3軍の迂回運動を庇護して全軍大勝の基を拓き更に長駆奉天北方に進出して敵軍主力の側背に迫り露軍敗退の因をなせり
降って満洲事変勃発するや昭和7年6月出動 泥濘悪路を克服してその機動力を発揮し馬占山討伐を始め東辺道討伐、乾元鎮の攻略等全満各地の作戦に活躍 8年2月海拉爾に進駐対蘇戦に備えて教育訓練に邁進す
支那事変に於いては昭和13年8月海拉爾より長駆北支に出動主力を以て歸徳一部を以て寧陵、■縣に在って新黄河北方地域に於ける掃蕩及び陽動作戦に活躍 14年2月更に蒙彊の地へ転進主力を以て固陽一部を以て薩拉齋に駐屯 駐蒙軍に属して各種の作戦警備に任ず
特に14年12月の包頭戦に於いては集団司令部の危急を救い15年の二次に亘る五原作戦に於いてはその中核として活躍敵の蠢動を封殺し蒙彊地区の安寧に寄与す
この間14年10月我が騎兵機械化施策の一環として自動車編制に改編され更に17年10月には戦車第3師団の創設に伴い騎兵第14聯隊と共に機動歩兵第3聯隊を編成軍旗を奉還 茲に騎兵甲聯隊たる40余年の栄ある歴史を閉ず
然れどもその輝ける伝統は新しき聯隊に脈々と継承せられ特に19年5月 太平洋方面の戦況非なる時支那大陸戦線に於いて敢行せあっれし大陸打通作戦の一環たる洛陽攻略に於けるその活躍は永く青史にその名を止むべし
但惜しむらくは敗戦による皇軍の解体と共に聯隊の栄誉を後世に伝うる術もなかりしに幸い戦後此の地に設立せられし東邦大学より記念碑建設の快諾を得 依って我等戦友有志相諮り此処聯隊発祥の地に碑を建て聯隊歴史の概要を刻し以てその栄誉を永く後世に伝えると共に亡き戦友の霊を慰めんとす
庶幾くは後人后後我等が微衷を察し祖国の安泰と発展に尽瘁あらん事を
(※ ■はパソコンで表示不可能な文字)
第1代 | 宇佐美 興屋 | 第6代 | 吉田 悳 |
第2代 | 蓮沼 蕃 | 第7代 | 小島 吉蔵 |
第3代 | 笠井 平十郎 | 第8代 | 馬場 正郎 |
第4代 | 稲葉 四郎 | 第9代 | 西原 一策 |
第5代 | 内藤 正一 |
第1代 | 渋谷 在明 | 第12代 | 柳川 平助 |
第2代 | 秋山 好古 | 第13代 | 吉岡 豊輔 |
第3代 | 本多 道純 | 第14代 | 高波 祐治 |
第4代 | 河野 政次郎 | 第15代 | 中山 蕃 |
第5代 | 永沼 秀文 | 第16代 | 小川 正輔 |
第6代 | 稲垣 三郎 | 第17代 | 黒谷 正忠 |
第7代 | 田村 守衛 | 第18代 | 野沢 北地 |
第8代 | 小畑 豊之助 | 第19代 | 大賀 茂 |
第9代 | 宮内 英熊 | 第20代 | 片桐 茂 |
第10代 | 原田 宗一郎 | 第21代 | 栗林 忠道 |
第11代 | 梅崎 延太郎 | 第22代 | 森 茂樹 |
第1代 | 田村 久井 | 第10代 | 宇佐美 興屋 |
第2代 | 小池 順 | 第11代 | 中山 蕃 |
第3代 | 永沼 秀文 | 第12代 | 山内 保次 |
第4代 | 牧野 正臣 | 第13代 | 星 松尾 |
第5代 | 渡部 為太郎 | 第14代 | 和田 義雄 |
第6代 | 南 次郎 | 第15代 | 横田 卓二 |
第7代 | 高須 一万太郎 | 第16代 | 猪木 近太 |
第8代 | 土屋 篤 | 第17代 | 小原 一明 |
第9代 | 原田 宗一郎 | 第18代 | 山崎 武四 |
(銘板より)
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『騎兵第13聯隊跡』の碑 (千葉県船橋市・東邦大学薬学部・理学部) (平成18年8月31日) |
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司馬遼太郎の文学碑 (千葉県船橋市・東邦大学薬学部・理学部) (平成18年8月31日) |
碑文(表)
司馬遼太郎の小説の一節を原稿の筆跡で刻んだものと思われるが、判読できませんでした。
碑文(裏)
司馬遼太郎
大正12(1923)年8月7日生
平成8(1996)年2月12日没
作家 文明評論家
平成5年 文化勲章受賞
我が国騎兵の父と仰がれ騎兵第13聯隊等を指揮した、騎兵旅団長秋山好古は、司馬文学最高傑作の一つ『坂の上の雲』の主人公である。
冀こいねがわくば在天の魂魄時にこの故郷ふるさとに訪れ給はむことを。
平成8年10月4日
騎兵第13聯隊会 有志一同 建之
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塔 (千葉県船橋市・東邦大学薬学部・理学部) 陸軍大将 南次郎の書で、武勇・信義・質素・忠節・禮儀の文字が刻まれていました。 (平成18年8月31日) |
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記念碑のある場所 (東邦大学・体育館裏) 左のコンクリート塀の向こう側が日大の敷地で、この塀を挟んだ丁度反対側に騎兵第14連隊・戦車第2連隊の記念碑が建っています。 (平成18年8月31日) |
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柔道場 (千葉県船橋市・東邦大学薬学部・理学部) 記念碑の直ぐ近くに木造の柔道場があります。 この建物が戦前からのものかどうかはわかりません。 (平成18年8月31日) |
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東邦大学薬学部・理学部(習志野キャンパス) (千葉県船橋市三山2−2−1) 隣の日本大学生産工学部(騎兵第14連隊跡・戦車第2連隊跡)は習志野市にまたがっています。 (平成18年8月31日) |
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