菊池武時像 平成23年2月7日

菊池武時 きくち・たけとき

正応5年(1292年)〜元弘3年/正慶2年3月13日(1333年4月27日)

※生年はに諸説あり:文永9年(1272年)・弘安4年(1281年)・正応5年(1292年)

熊本県菊池市・菊池神社でお会いしました。


肥後国の豪族・菊池武房の孫。
菊池隆盛の次子。
通称は次郎。
兄の時隆が一族の内紛により殺害されたのち、菊池家の家督を相続。
元弘3年(1333年)伯耆国船上山せんじょうさんに拠った後醍醐天皇の輪旨りんじを受け、倒幕を決意。
同年3月、鎮西探題・赤橋英時の九州の御家人召集を機に、一族と共に博多に向かい、博多市内に火を放ち探題館を襲撃した。
しかし、少弐貞経・大友貞宗の裏切りもあり、奮戦むなしく敗死した。







菊池武時公像
(熊本県菊池市・菊池神社)





(平成23年2月7日)

菊池武時公

公は菊池氏12代の当主である
後醍醐天皇の勅命を奉じ 一族を率い 博多の九州探題北條英時を攻め 元弘3年3月13日 壮烈な討死を遂げ 建武新政のさきがけとなられた

(碑文より)

【菊池一族】

菊池氏は、後三条天皇の延久2年(1070)に、大夫将監藤原則隆公が肥後の国菊池に下向し、居を菊池川の畔深川の地にかまえ地名をとって菊池姓を名乗ってから、歴世24代5百年になんなんとする長い時代にわたって栄えた名門で、伝家純忠の精神を一貫し、一門の心血を注いで壮美極まりない歴史絵巻を繰りひろげた。

初代 則隆公 13代 武重公
2代 経隆公 14代 武士たけひと
3代 経頼公 15代 武光
4代 経宗公 16代 武政公
5代 経直公 17代 武朝公
6代 隆直公 18代 兼朝公
7代 隆定公 19代 持朝公
8代 能隆公 20代 為邦公
9代 隆泰公 21代 重朝公
10代 武房公 22代 能運よしゆき
11代 時隆公 23代 政隆公
12代 武時公 24代 武包たけかね

ここに肥後における菊池の正統は絶え、初代則隆公が延久2年下向してより463年。
菊池氏24代を算う。

(『菊池神社 参拝のしおり・歴史館ご案内』より)






歴史館
(熊本県菊池市・菊池神社)





(平成23年2月7日)





菊池神社
(熊本県菊池市隈府1257)




(平成23年2月7日)

菊池神社

明治3年4月御鎮座、吉野朝に忠誠を尽くした菊池武時・武重・武光父子三公を主神に、菊池一族の殉国戦没の将士を祀ってあり、歴史館には、歴史を物語る古文書、家憲、千本槍、画像、能衣装、能面など数多く展示されています。
例年10月13日から15日まで秋季大祭があり、その初日13日には御松囃子御能(国指定重要無形民俗文化財)が征西将軍の宮お手植えと伝える将軍木前において奉納されます。

熊本県

(説明板より)




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