木村重成 きむら・しげなり

?〜慶長20年5月6日(1615年6月2日)


豊臣秀頼に仕え、慶長19年(1614年)大坂冬の陣で籠城。
秀頼の使者として徳川方との和睦に臨み、徳川秀忠の誓書を受け取る。
翌年の大坂夏の陣で、大坂場外の若江で井伊直孝と戦い敗死した。


血染めのすすき



血染めのすすき
(滋賀県彦根市古沢町・井伊神社)

訪れた時期が悪かったのか、「すすき」は見当たりませんでした。



(平成18年4月10日)

木村長門守ゆかりの血染めのすすき

慶長廿年(1615)大坂夏の陣に、徳川軍先鋒を命ぜられた井伊直孝は、二代藩主直勝に代って5月6日払暁ふつぎょう大坂城を遥かに望む玉串川(現大和川)の若江堤に陣をすすめた。
早朝からの合戦に多くの兵を失った豊臣方の名将、木村長門守重成(槍やりの名手)は、若干廿四歳の若武者であったが、大坂城もこれまでと、直孝の本陣に最後の突撃を敢行した。
この時、彦根藩士安藤長三郎は、重成の首級しゅきゅうを挙げたが、香を焚きしめた兜をつけた姿に、敵将ながらその死を悼み、若江堤に繁るすすきに包んで持ち帰り、安藤家の菩提寺宗安寺に手厚く葬り、すすきは佐和山神社(井伊家祖霊社)の社前に『重成血染めのすすき』として植えられた。
その後同神社は井伊神社に合祀ごうしされたので、縁ゆかりの宗安寺に移植されたが、今度株分けを受けて再び井伊神社境内に昔日の面影を偲ぶこととなった。

平成10年3月
たちばな会 記

(説明板より)

井伊神社



井伊神社
(滋賀県彦根市古沢町)





(平成18年4月10日)

井伊神社・由緒

天保13年(1842)井伊直亮なおあきが、井伊家の始祖共保ともやす公の750回忌に當あたり、遠州引佐いなさ郡の井伊谷いいのや八幡宮から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に奉斎したのを創祀とする。
弘化2年(1845)社殿を今の位置に移し、現社殿を建立した。
明治16年(1883)県社に列格された。
昭和13年(1938)近接の佐和山神社(祭神は藩祖井伊直政、直孝両公)並びに祖霊社(祭神は井伊直中、直亮、直弼、その他井伊家歴代藩主)の神霊を合祀ごうしした。

(説明板より)



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