金田一京助 きんだいち・きょうすけ

明治15年(1882年)5月5日〜昭和46年(1971年)11月14日


岩手県出身。
東大卒。
東大在学中から、北海道・樺太旅行でアイヌ文学に関心を抱く。
明治41年(1908年)『中央公論』に『アイヌの文学』を連載。
国学院大学、東京大学、早稲田大学で教えながら、昭和6年(1931年)に『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』を刊行。
国語辞典の編纂、石川啄木との交遊でも知られる。
学士院会員。
文化勲章受章者。
89歳で没す。


金田一京助・春彦旧居跡



金田一京助・春彦 旧居跡
(東京都文京区本郷4−11−6)





(平成18年3月11日)

金田一京助・春彦 旧居跡

本郷4丁目11−6

金田一京助(言語学者)は、明治15年(1882)岩手県盛岡に生まれた。
東京大学言語学科卒業後、昭和17年(1942)から同大学において教授として教鞭を執り、のちに国学院大学教授となった。
東京大学在学中からアイヌ民族に関る言語、文学、民俗の研究を始め、北海道・サハリン(樺太)のアイヌ居住地を歴訪し、実地調査と研究により、アイヌ語を初めて学問的に解明し、アイヌの叙事詩ユーカラを世に初めて紹介した。
アイヌに関る多くの著書は、日本列島における北方文化を学ぶ者の原点ともなっている。
これら数々の功績により、昭和29年には、文化勲章が授与された。
盛岡中学時代、2年下級に石川啄木が在籍していた。
啄木は中学を卒業後、盛岡から上京、京助を尋ね、急速に文学への関心を高めていった。
京助は啄木の良き理解者であり、金銭的にも、精神的にも、類まれな援助者であった。

金田一京助の長男、春彦(国語学者)は、大正2年(1913)ここ本郷の地で生まれた。
大正9年(1920)からの5年間、近くの真砂小学校(現本郷小学校)に在籍。
この頃唱歌の音階に関心を持ち、それが後の平家琵琶やアクセント研究のきっかけとなった。
東京大学国文学科を卒業後、名古屋大学・東京外国語大学・上智大学などで教鞭を執った。
全国各地のアクセントを調査研究し、国語アクセントが歴史的かつ体系的に変化することを初めて実証した。
また、数多くの国語関係辞書等の編纂を通じて、その研究成果を一般に普及させた。
第50回(平成9年度)文化功労者表彰受賞、平成13年度東京都名誉都民。

平成16年3月
文京区教育委員会

(説明板より)

鐙坂



あぶみ

(東京都文京区本郷・金田一京助旧居前の坂道)





(平成18年3月11日)

鐙坂あぶみざか

本郷台地から菊坂の狭い谷に向って下り、先端が右にゆるく曲がっている坂である。
名前の由来は「鐙の製作者の子孫が住んでいたから」(『江戸志』)とか、その形が「鐙に似ている」ということから名付けられた(『改撰江戸志』)などといわれている。
この坂の上の西側一帯は上州高崎藩主大河内おおこうち家松平右京亮うきょうのすけの中屋敷で、その跡地は右京山と呼ばれた。

平成6年3月
文京区教育委員会

(説明板より)


文学碑



文学碑

(広島県尾道市・千光寺公園文学のこみち)





(平成18年3月21日)

金田一京助

かげともの をのみちの
やどの こよなきに
たびのつかれを
わすれて いこへり


盛岡市に生まれる。
東大文科大学言語学科卒。
元日本学士院会員。
「アイヌの研究」「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」などの著述がある。
この和歌は昭和30年尾道に来遊の際の作である。

(説明板より)

(平成18年4月16日記)


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