北村透谷 きたむら・とうこく

明治元年11月16日(1868年12月29日)〜明治27年(1894年)5月16日


本名は門太郎。
神奈川県出身。東京専門学校中退。
自由民権運動に加わり大阪事件への参加を求められたが、煩悶の末に頭を剃って運動から離脱する。
その後キリスト教に入信し、文学へ移って詩や評論などで活躍した。
明治26年(1893年)島崎藤村らと『文学界』を創刊。
初期浪漫主義運動の指導者的役割を果たし、一方プロテスタント各派と交流して反戦平和運動を展開した。
著作に初期の劇詩と『厭世詩家と女性』『内部生命論』『人生に相渉るとは何の謂ぞ』などの評論があり、その基調は実世界に対して想世界・内部生命・他界などの観念を対置させることで、現実社会の止揚をはかろうとするものであった。
山路愛山との人生相渉そうしょう論争は有名。
27歳の若さで自殺。


碑



「島崎藤村 北村透谷 幼き日 ここに 学ぶ』の碑
(東京都中央区銀座5−1−13・泰明小学校)





(平成18年6月26日
記念碑



北村透谷記念碑

(泰明小学校)





(平成18年6月26日)

北村透谷・島崎藤村記念碑

所在地 中央区銀座5丁目1番13号

泰明小学校は明治11年(1878)6月に開校され、北村透谷と島崎藤村はその初期の卒業生でした。
北村透谷(1868〜1894)は、現在の神奈川県小田原市に生まれ、明治14年に家族とともに京橋区弥左衛門町(現在の銀座4丁目)に転居し、翌年卒業するまで泰明小学校に通いました。
その後、自由民権運動に惹かれて政治運動を志しましたが、後に文筆活動に転じ文芸評論家・詩人として活躍しました。
明治26年雑誌『文学界』に参加した透谷は、文芸における自由主義を唱え、近代浪漫主義文学の開拓者といわれました。
島崎藤村(1872〜1943)は、中山道馬籠宿(現在の岐阜県中津川市)に生まれ、明治14年に上京し、京橋区鎗屋町(現在の銀座3・4丁目付近)の姉の嫁先から泰明小学校に通学しました。
その後、姉夫婦が帰郷したことにより同郷人の家に寄寓し、明治17年に卒業しました。
明治学院在学中に文学への関心を深めた藤村は、『文学界』の活動を通して透谷から深い影響を受けました。
著作に『若菜集』・『春』・『夜明け前』などがあり、中でも『破戒』は自然主義文学の先駆と言われています。

昭和51年2月
中央区教育委員会

(説明板より)

泰明小学校




東京都中央区立 泰明小学校






(平成18年6月26日)

昭和53年6月25日 泰明この日百年

泰明小学校は明治11年にこの地の公立小学として創立されここに一世紀を経ました。
この間国運の消長時代の変革社会の推移制度の変遷の中で常に地域の初等基礎教育を担いました。
特に関東大震災第二次世界大戦時には再度灰燼に帰しながらも復興し内実を深め校風を維持し絶えず誇り高く歩み続けいまや有為な人材1万人あまりを地元日本の銀座をはじめ広く世に送っています。
また幼稚園は昭和28年に開設され泰明の一貫教育に貢献しています。

(記念碑・碑文より)




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