北大路魯山人 きたおおじ・ろさんじん

明治16年(1883年)3月23日〜昭和34年(1959年)12月21日


京都・上賀茂の社家に生まれる。
本名は房次郎
大正9年(1920年)、東京に大雅堂美術店を開く。
食事と食器の組み合わせを考えた作陶を開始し、昭和2年(1927年)に鎌倉に星岡ほしがおか窯を起こし、自在な飲食器を制作した。


春風萬里荘



笠間日動美術館分館
春風萬里荘
しゅんぷうばんりそう
(茨城県笠間市下市毛・芸術の森)




(平成18年1月9日)

(財)笠間日動美術館分館 春風萬里荘

春風萬里荘は伝来300年の茅葺き民家造りで江戸時代の大庄屋の建物を神奈川県北鎌倉より昭和40年に移築したものです。
移築前は万能の異才である陶芸家の北大路魯山人が約30年間自邸として使用しておりました。
現在は笠間市内にある日動美術館の分館として初期洋画・日本画・書・陶磁器とともに北大路魯山人の当時居住していたままに再現、移築され北大路魯山人作品多数も併せて展示公開されております。

開館時間:午前9時30分〜午後5時(入場は4時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日)年末年始
入場料:一般600円

(説明板より)

春風萬里荘




春風萬里荘


内部の写真撮影は不可です。



(平成18年1月9日)

笠間日動美術館の分館である春風萬里荘は、昭和40(1965)年に北鎌倉より移築されました。
この茅葺き入母屋造りの重厚な構えの江戸時代初期の民家は、もともとは、現在の神奈川県厚木市近郊の地にあたる高座郡御所見村の豪族で、大庄屋でもあった伊東家の母屋であったものを、昭和の初めに北大路魯山人が、北鎌倉・山崎の地にひらいた星岡窯の母屋として、もう一軒の慶雲閣と共に移築し、自らの住居としていたものです。
北大路魯山人は、明治16(1883)年、京都に生れ、はじめ書家として世に出た後、篆刻、絵画、陶芸、漆工芸などの多方面にその才能を発揮しています。
昭和34(1959)年、76歳で亡くなり、後30余年以上を経た今もさらにその評価は高まっています。
建物の内部は、魯山人が住んでいたままに残されており、「万能の異才」とうたわれ、万事に凝り性であった魯山人の才を偲ばせる箇所が随所に見られます。
昔ながらの三和土たたきの土間の左手にある、本来は馬屋であった洋間は、年輪を刻んだ欅の木目を見せた「木レンガ」を敷きつめた床、自然石そのままを組み上げた暖炉、手斧削りの梁の棚板と古いインド風の擬人化された象の首の棚受、さらに奥には自作の陶製「アサガオ」があります。
風呂場は、脱衣所を含めると十畳間程の大きさで、魯山人らしく、長州風呂と上り湯と洗い場がゆっくりとした広さの中に配され、周りの陶板はやはり彼自作のもので、半円筒形の織部陶板が青竹のようにめぐらされ、棕櫚縄でしめられた絵付けがなされています。

(リーフレットより)

茶室




茶室「夢境庵」






(平成18年1月9日)

茶室「夢境庵」は、千宋旦(千利休の孫)によってつくられた裏千家の名茶室「又隠ゆういん」を手本として、魯山人が設計したものです。
三畳控えの間、四畳半本勝手、洞庫口水屋からなり、床柱は黒柿、長押は南天の樹を用いています。
にじり口際の塗り壁になっている部分に貴人きにん口が設けられ、出入りを容易にしています。
北鎌倉に在った時は、母屋より離れた茅葺き入母屋造りの独立した茶室で、魯山人の安息所として使用していました。
これらの魯山人の手になる部分は、彼の「美的空間で日常坐臥を満たさねば、美しいものを生み出せない」との考えの下になされたものです。

(リーフレットより)


陶芸 焼き物 陶磁器



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