平成24年4月17日

吉川広嘉 きっかわ・ひろよし

元和7年7月6日(1621年8月23日)~延宝7年8月16日(1679年9月20日)

山口県岩国市横山・吉香公園近くでお会いしました。





吉川広嘉公像
(山口県岩国市)

昭和47年 矢形勇 作



(平成24年4月17日)

【碑文】

錦帯橋の創建者吉川広嘉公は旧岩国藩3代目の領主で1621年第2代藩主広正公の長男として生まれた
その天性の聡明さは岩国城を築き岩国の町を開いた藩祖広家公譲りのようである
青年時代病気療養のためしばしば京都に滞留したがそのことは人格識見を高める機縁ともなった
1663年父の隠退にともない家督を継ぎ1679年59歳で没するまでの17年間内治に外交によくその手腕を振るい善政をしいた
とくにかねてからの念願であった流失しない橋の架設に心血を注ぎ領内の衆知を集めさらに有能な技術者を抜擢して教育するなど長年の苦心の結果ついに1673年現代工学の法にもかなうこの優美にして堅ろうな錦帯橋の架橋に成功した
構造の要所に公の発想に基づくものがあるといわれる錦帯橋はまさに公の英知と善政を象徴するものである

(銘板より)


錦帯橋

名勝 錦帯橋

世界に誇る名橋錦帯橋は延宝元年(1673)、第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。
それまでの橋は、錦川の洪水のたびに流されていましたが、広嘉の斬新な発想と藩の技術者のたゆまぬ努力によって現在の橋の形が作り出されました。
長年美しい姿を誇っていましたが、昭和25年9月、当地方を襲ったキジア台風により惜しくも流失しました。
その後、昭和28年1月再建され、現在の橋は、平成13年度から平成15年度にかけて行われた工事により架替えられたものです。
橋の長さは、橋面にそって210m、直線で193.3m、幅5m、橋脚の高さ6.64mとなっています。
錦帯橋といえば周囲の景観と調和した美しい姿が特徴ですが、木組みのアーチや橋脚、その橋脚を支える敷石等の技術は、現代の土木工学においても通用する技術であると言われ、当時の岩国藩の技術の高さを裏付けるもので、その匠の技は今日まで脈々と伝えられています。

(説明板より)




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