小堀遠州 こぼり・えんしゅう

天正7年(1579)〜正保4年2月26日(1647年4月1日)


近江国生まれ。
名は政一。
文禄2年(1593年)豊臣秀吉に仕えて京都に移り、この頃古田織部おりべに茶を学ぶ。
普請奉行として、駿府城修築の功により、従五位下遠江守に任じられる。
この官位により、通称・小堀遠州という。
寛永元年(1624年)頃から茶人としての活躍が始まり、三代将軍徳川家光の茶道指南として認められた。
茶風は武家茶道に公家的な古典美を兼ね備えた「きれいさび」といわれ、近世茶道は遠州によって大成されたという。
正保4年、伏見奉行屋敷で没す。69歳。


出生地跡

出生地跡
(滋賀県長浜市小堀町)

「出生地碑」などの明確な目印は何もありませんでしたが、どうもこの竹林がある辺りに屋敷があったようです。
場所は総持寺の近く。
「ここは遠州の里」の看板があるのみ。


(平成18年4月8日)

龍潭寺庭園



小堀遠州作 龍潭寺庭園

(静岡県浜松市・龍潭寺)





(平成18年4月14日)

龍潭寺庭園

小堀遠州作龍潭寺庭園は、江戸時代初期に本堂北庭として築かれた池泉鑑賞式庭園である。
中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石(座禅石)が配され、更に池の型が心字池となっていて寺院庭園として代表的な庭である。
数多くの石組で瀧・渓谷が表現され、鶴亀が表現されている。
岩は、地元で産するチャート(通称山石)を使い、明るくすんだ庭である。
春のさつき、秋の満天星(どうだん)と四季おりおりの変化にも富み、昭和11年国指定名勝記念物となるが、東海一の名にはじない名園である。

(リーフレットより)

龍潭寺



龍潭寺

(静岡県浜松市引佐町井伊谷1989)

拝観受付:午前9時〜午後4時30分(午後5時閉門)



(平成18年4月14日)

龍潭寺 りょうたんじ

今から1300年前、天平5年(733)行基菩薩により開創され室町時代、黙宗瑞淵禅師がご開山となられ、禅宗の寺となる。
井伊谷は、井伊家元祖共保公出生(1010)の地であり、24代直政公が彦根に出世されるまで、井伊家が治めている。
当寺は元祖からの菩提寺として今日まで、歴代の殿様に深く帰依されてきている。
縁深い1万余坪の境内には、本堂(1676)を始め庫裏、開山堂、総門、井伊家霊屋等の建物が、江戸時代をそのままのたたずまいと歴史を残し、点在している。
堂内鶯張りの廊下を踏み、甚五郎作龍の彫刻を見て本堂裏の庭園に出る。
小堀遠州作 龍潭寺庭園は、東峰・中峰・西峰の三つの築山を設け、東西に心字池が流れ、数多くの石組による枯滝を配している。
サツキの5月、ドウダンの秋等四季おりおり風情に富む

(拝観券の説明文より)


二の丸庭園



二条城・二の丸庭園
(京都市中京区)
小堀遠州が作庭したといわれている池泉ちせん回遊式庭園




(平成19年3月17日)

特別名勝 二条城二の丸庭園

池を中心とした庭で、3つの島を置き、4つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は変化に富んで秀麗であり豪壮な趣がある。
庭園は大広間の西、黒書院の南に位置し、主として大広間から鑑賞せられるのであるが、寛永3年後水尾天皇行幸の際、行幸御殿が庭園の南に設けられた関係で、南方よりの鑑賞の事も考えて庭園南部の石組に変更を加えた形跡が見られる。
作庭年代については、記録や作風から推して慶長7・8年頃二条城が造られた時にその建築に調和させて築造せられたもので後水尾天皇行幸の際一部改修を加えられ今日に至ったものと考えられる。
そしてその作風は桃山末期乃至ないし江戸初期に大成された書院造りの大建築に伴なう庭園の特徴をよく示し、現存歴史的庭園中の優秀作品の一つに数えられる。

(説明板より)


大阪城・乾櫓

重要文化財 乾櫓

西の丸の乾(戌亥)すなわち西北の方角に建つ隅櫓で、L字形、総二階造り(一階と二階の床面積が同じ)という非常に珍しい構造をもっており、昔は「三方正面の櫓」とも呼ばれた。
徳川幕府による大阪城再築工事の初期、元和6年(1620年)に小堀遠州の総指揮のもとに建てられたもので、千貫櫓とともに、現存最古の建造物である。

■構造形式/矩折二重二階本瓦葺
■面積/一階、二階とも170.68u 延341.36u
■昭和34年解体修理

(説明板より)


遠州流茶道  名園  造園



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