小松姫 こまつひめ

天元元年(1573年)〜元和6年2月24日(1620年3月27日)


上田藩主(のち松代藩主)・真田信之の妻。
本多忠勝の第一子・長女。
徳川家康の養女。


駕籠



駕籠
(長野県上田市・上田城





(平成20年10月29日)

駕籠

旅の途中、鴻巣こうのす宿(埼玉県鴻巣市)で死去した真田信之の妻大蓮院の遺骸を、上田まで運んだと伝える駕籠かご
大蓮院は徳川家康の重臣本多忠勝の娘で、小松殿(小松姫)と呼ばれ、死後は大蓮院と追号された。
賢婦人で女丈夫じょじょうふの聞こえが高かった。
元和6年(1620)、48歳で病没。
墓は上田の芳泉寺のほか、沼田(群馬県)と鴻巣にもある。

(説明書きより)


小松姫の墓



上田市指定文化財
小松姫の墓(真田信之夫人大蓮院殿だいれんいんでんの墓)
(長野県上田市・芳泉寺)




(平成20年10月29日)

小松姫のエピソード

姫の婿選びのため、家康公に呼ばれて平伏している諸大名の髷を、姫が掴んで顔を見た、その態度に立腹し、鉄扇で手を打ち据えた大名が信之公であった。
姫はこれに怒るどころか、他の大名のだらしなさを軽蔑し、彼の正室となり上田へ嫁いで来た。
やがて不幸なことに、信之と昌幸(父)幸村(弟)が敵・味方となって戦うようになった時(1600)に、最後に孫の顔が見たいと訪ねる昌幸に対し、姫は侍女達にも武装させ城門を警護し昌幸を追い払ったという。
しかし関ヶ原の合戦に敗れ、九度山に蟄居した昌幸・幸村に上田の食物を送り続けたという。

(説明板より)

市指定記念物(史跡)
文化財保護条例第5条の規定により左記のとおり指定する。


一、種別 記念物(史跡)
一、名称 小松姫の墓(真田信之夫人大蓮院殿だいれんいんでんの墓)
一、所在地 上田市常磐城3丁目7番48号
一、指定年月日 昭和45年5月11日

上田城及びその城下の創始にあたった真田信之の正妻で、真田家存亡の際、陰の功を果たした小松姫の墓である。
小松姫は、徳川家康の養女(本多忠勝の娘)として天正14年(1586)信之に嫁いだ。
たいへん賢く、女丈夫として数々の逸話を残している。
元和6年(1620)2月24日、48歳で埼玉県鴻ノ巣市にて歿(勝願寺で密葬)した。
元和8年信之が松代へ移封されたとき、姫の御霊屋おたまやは松代に遷されたが、この石垣積み基壇上の高さ2.88メートルの二重塔身宝篋印塔ほうきょういんとうは、その銘文より、信之が小松姫(法名 大蓮院殿英誉皓月大禅定尼)の一周忌に建てたものであることがわかる。
基壇北の石燈籠は、真田信吉寄進のものである。

昭和47年10月1日
上田市教育委員会

(説明板より)

弁天池

弁天池

(長野県上田市・芳泉寺)

上田城主真田信之公は元和8年松代へ移封。
正室小松姫のお霊屋たまやも松代の大英寺へ。
この弁天池はその名残りの跡地。
(説明板より)


(平成20年10月29日)
芳泉寺



芳泉寺
(長野県上田市常磐城3−7−48)





(平成20年10月29日)
芳泉寺



芳泉寺
(長野県上田市常磐城3−7−48)





(平成20年10月29日)

浄土宗 総本山知恩院直末 松翁山 円覚院
芳泉院(上田市常磐城)

上田城を西へ徒歩5分、千曲川の旧跡「古舟の渡」を越え、北に向かう善光寺道の故地常福寺坂の上、往古、当山は左岸の三楽寺(安楽常楽長楽)と右岸の三福寺(大福常福信福)の一山常福寺として「ふくらくおうげん福楽往還」の徴憑。
慶長5年(1600年)、上田藩祖真田信之公(上田城主昌幸嫡男、幸村の兄)は、その常福寺(現芳泉寺)に下之条村の全称庵主含霊を迎えて菩提寺と定めた。
そして九度山に蟄居する父と弟のもとへ「年々信州の四季の物」が届いたのは公の正室小松姫(本多忠勝娘、家康の養女)も心ばえであったという。
昭和平成の今日、北は秋田から南は鹿児島に及ぶ「真田六文会」の続柄不断の基礎者として、お姫様の中核的存在感は重い。
元和6年(1620年)2月24日、公は姫(大蓮院殿)の死にあって「ああ、わが家のともしび消えたり」と嘆き、当山と姫の密葬の大導師不残上人御住持の勝願寺(埼玉県鴻巣市)と真田氏ゆかりの正覚寺(群馬県沼田市)の三ヶ寺に宝篋印塔を建立して分骨、更に当山にはお霊屋をも造立。
そのお霊屋は信之公と倶に松代の皓月山大英寺へ。
当山本堂南の弁天池は名残の史跡。
元和8年(1622年)上田城主信之公(大鋒院殿)は長野市松代へ移封。
11月小諸城主仙石忠政公(法光院殿)が入部。
霊地常福寺を修営。
翌春正月小諸市の松井山しょうせいざん歓喜院かんぎいん宝仙寺ほうせんじから、父円覚院殿秀久公の遺骸を、小松姫墓北隣へ改葬。
円覚院芳泉寺と尊称、香華院こうげいんと定めた。
秀吉小田原征伐の武勲者仙石氏中興秀久公は伏見城中で大泥棒石川五衛門を生け捕るなど愛称権兵衛さんで通る強の者、秀吉は名品「千鳥の香炉」を褒美とした。
仙石氏後裔は率土そっとの物品ものしなに非ず」と明治天皇に献上、御物ぎょぶつとなる。
勝願寺には雄偉な宝篋印塔がある。
山号の松翁山は忠政の子、城主政俊(晩年は直政を称す)公の法号松翁院殿の美諡に因る。
公は年少にして父忠政公を喪い、その御生涯はまさに篤信者にして精進、俗に塩田四十七池、六ヶ村堰せき、桝網ますあみ用水、網掛用水など水利土木、更には真田紐等じつに「殖産振興の藩主」の誉れが高い。
上田藩草創期の開発者仙石氏の霊廟と藩主松平氏五三桐紋付「御城主代々神儀」の古霊牌を祀る。

(説明板より)



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