小坂善太郎像 平成20年10月29日

小坂善太郎 こさか・ぜんたろう

明治45年(1912年)1月23日〜平成12年(2000年)11月26日

長野県長野市・日本生命県庁前ビルでお会いしました。


小坂善太郎先生像



小坂善太郎先生像
(長野県長野市大字南長野南県町1040−1・日生県庁前ビル)





(平成20年10月29日)

小坂善太郎先生顕彰

小坂善太郎先生は 昭和21年戦後第1回の衆議院総選挙に当選され 以来16回 在職40余年の永きに亘り国政の中枢にあって 労働大臣 初代国家公安委員長 経済企画庁長官 外務大臣4回をはじめ 衆議院予算委員長 自民党政調会長など数々の要職を歴任されました
ことに 戦後の混乱期にいち早く修正資本主義を唱え 自由と民主主義を基調とする我が国の前途に誤りなからしめたのであります
先生は 身を持することつねに清廉潔白「政界の良心」と称えられましたが 郷土につくす愛郷の念は人一倍強く 北陸新幹線の長野市通過を決定 高速自動車道中央道長野線及び関越道上越線を建設し 1998年の冬季オリンピック招致議員連盟会長として長野市開催に尽力され 今後の長野県の飛躍的発展の基をつくられました
また 全国並びに長野県土地改良事業団体連合会の会長として 農業と農山村の振興発展につとめ 日本国際連合協会長として世界平和につくし海事振興連盟会長として海国日本の国策に誤りなきよう努力されました
このような数多くの功績により 昭和57年5月 勲一等旭日大綬章の栄に浴し 国際連合本部から国連平和章が贈られ 国際連合協会世界連盟より名誉会長におされました
時あたかも 先生が心魂を傾けて成し遂げた日中国交正常化二十周年にあたる今日 私共あいはかり「小坂善太郎先生顕彰像建立委員会」を組織して先生の人柄を慕い 末永くそのご功績を称え後世に伝えるため立像を建立しました

平成4年4月 陽春
小坂善太郎先生顕彰像建立委員会

(碑文より)


【新日米安保条約・事前協議】

新安保条約では、その第6条の実施に関する交換公文において「日本から行われる戦闘作戦のため基地としての日本国内の施設と区域の使用は、日本政府との事前協議の主題とする」と規定されている。
昭和37年(1962年)5月17日、ロイター電は、「ビルマの内戦に対応するため、日本本土と沖縄に基地をもつ米軍の偵察、輸送、給油機は目下タイに派遣されつつある」と伝えた。
この報道に関し、小坂善太郎外相は日本からの移動は戦闘のためではなく、事前協議の対象ではない、と発表した。
ワシントン発のUPIは、「アメリカ国務省は『事前通告しなかったのは手違いだった』とライシャワー大使を通じて日本側に陳謝した」と報じていた。
安保条約の改定以来、現在にいたるまで条約に基づく日米間の事前協議が、実際に行われたことが報道されたことは一度もない。

(参考:楠田實 編著 『産経新聞政治部秘史』 20001年第一刷 講談社)

(平成24年1月6日追記)




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