幸田露伴 こうだ・ろはん

慶応3年7月23日(1867年8月22日)~昭和22年(1947年)7月30日


明治~昭和期の小説家・随筆家・考証家。
本名は成行しげゆき
別号は蝸牛庵かぎゅうあん
江戸下谷三枚橋の幕府表坊主役の家に生まれる。
東京図書館で漢籍・仏書・江戸雑書を独学。
電信修技学校を卒業後、北海道の余市に電信技士として赴任する。
のちに帰京して、明治22年(1889年)、『露団々つゆだんだん』を発表。
以後、『風流仏』『対髑髏』『一口剣』『五重塔』などで愛の極致と芸道への執心を描き、尾崎紅葉と並び称される。
評論・随筆に『一国の首都』『長話』などがある。
大正期に『運命』『蒲生氏郷』などの人物史伝を書き、昭和期には『芭蕉七部集』評釈に精力を注いだ。
兄弟に実業家の幸田成常、千島探検の郡司成忠、歴史家の幸田成友、ピアニストの幸田延、バイオリニストの安藤幸がいる。

(参考:『日本史人物事典』 山川出版社 2000年5月第1版第1刷発行)







 文学碑
 (山形県酒田市・日和山ひよりやま公園)





(平成26年11月23日)

【碑文】

峠を雨に越えて 湯の田に
一杯を傾け 吹浦より藤崎を経て
酒田に入りぬ (中略)
吹浦より酒田に至る
六里ばかりが間は
いづれも皆海風荒く 砂舞ひて
人の行き悩むところなりしが
佐藤藤蔵 服部外右エ門 曽根原六蔵
本間宗善(註 光丘) 堀善蔵等の
人々の松を植え林を造りしが
ために 今の如くなるに
至れりといふ
十九日
酒田を立ちて最上川を渡る
茫々たる盧萩人をも車
埋めんとす
     幸田露伴『遊行雑記』より

幸田露伴

東京の人。
明治文学に巨大な足跡を残している露伴は、明治25年(1892)7月、土崎港から汽船で酒田に向かったが、嵐のため上陸を断念した。
その後、明治30年10月18日、友人の大橋乙羽と同道して、酒田に来遊している。
「遊行雑記」はその時の紀行文である。

(説明板より)




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