工兵第16大隊


伏見工兵第十六大隊跡の碑


『伏見工兵第十六大隊跡』の碑

(京都市伏見区西奉行町・桃陵市営住宅団地入口)

碑文は見当たりませんでした。



(平成16年11月27日)
桃陵団地 桃陵市営住宅団地

向かって右側の植え込みの中に石碑がありました。

桃陵とうりょう団地の歴史

伏見は平安時代には鳥羽と並ぶ貴族の別荘地帯であったが、都市として繁栄したのは、豊臣秀吉がこの地に伏見城を築き、城下町と伏見港を整備してからである。
江戸時代には三代将軍徳川家光の時に豊臣ゆかりの伏見城を完全に壊し、寛永元年(1624)に富田信濃守の屋敷のあった場所に伏見奉行所を建設した。
その場所は現在の桃陵団地の敷地で伏見城の跡地への入口と港を監視する位置にある。
明治維新の時(1868)幕軍のたてこもる伏見奉行所は、官軍の攻撃により焼け落ちた。
明治時代以降、陸軍の土地となり、工兵隊の基地になっていた。
第二次世界大戦終了後、米軍に接収されていたが日本に返還された後、市営住宅が建設され、今日にいたっている。
下の写真は奉行所の石垣と明治時代に陸軍が奉行所前の道路部分を西へ広げて建設した石垣である。
また、この掲示板の上に使用されている笠石は陸軍時代の門に使用されていた石である。

平成2年10月
京都市

(説明板より)

説明板 説明板の写真より

説明板 『桃陵団地の歴史』の説明板(掲示板)

この説明板(掲示板)の上に乗っている笠石が、陸軍時代の門に使用されていた石なのだそうです。
伏見奉行所跡 「伏見工兵第十六大隊跡」の碑の反対側に説明板と「伏見奉行所跡」の碑が建っています。
伏見奉行所跡の碑 『伏見奉行所跡』の碑

昭和43年11月京都市建立

桃陵中学校



京都市立桃陵中学校

このあたりも工兵隊の兵営だったところらしい。



(平成16年11月27日)
伏見合同宿舎 伏見合同宿舎
(伏見区東奉行町・西奉行町)

このあたりも工兵隊の兵営だったところらしい。

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