工兵第2連隊

(通称号:勇1308部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
仙台 明治16年 第2師団 仏印

明治16年、仙台鎮台において工兵第1中隊として創設。
明治22年、工兵第2大隊に改称。
明治27年、日清戦争では威海衛の戦闘に参加。
続く日露戦争にも動員され、朝鮮に上陸し第1軍に属して、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加。
大正9年、尼港(ニコライエフスク)事件では、大隊から1個中隊を派遣した。
昭和6年、満洲に移駐。
昭和6年9月、満州事変が勃発し、大隊は第2師団の各部隊に配属され、吉林から興安嶺、牡丹江に至るまでの師団の作戦の中、破壊された箇所の修理、渡河などを担当する。
昭和11年、工兵第2連隊に改称。

昭和17年3月のジャワ島攻略戦に参加し、以後、同島の警備に当たる。
この時、第1中隊はフィリピンのダバオの警備に任じた。
昭和17年9月、第2師団がガダルカナル島に転出することになり、連隊も第1中隊と合わせて10月にガ島へ向かう。
ガ島での連隊は補給途絶のまま悪戦苦闘。
昭和18年2月の撤退時には戦病死者500余名を数えた。
ガ島撤退後、ブーゲンビル島、ニューブリテン島を経て比島(フィリピン)に後退し、部隊を再編。
昭和18年10月、マレーへ転進し、同地付近の警備に当たる。
第2中隊は泰緬国境付近の道路建設に従事。
昭和19年1月、ビルマ南西に転進。
7月、ビルマ北部へ進み、第1次・第2次断作戦に参加。
この間、泰緬国境に派遣されていた第2中隊が連隊主力に復帰。
昭和19年11月、中部ビルマを撤退。
昭和20年1月、第3中隊を残して連隊主力は仏印に後退。
その後、連隊主力は明号作戦に参加し、同地で終戦を迎える。
ビルマに残留した第3中隊は、イラワジ会戦に参加した後、仏印に後退。
7月に連隊に復帰し、仏印で終戦を迎えた。


工兵隊の跡



「工兵隊の跡」碑

(宮城県仙台市・仙台国際センター)





(平成21年11月9日)

銘記

ここは工兵隊の跡です
工兵隊は明治16年3月22日青葉城内に創設され 明治30年8月3日此の地に移駐し以来大東亜戦争が終結する迄約50年の間精強な工兵を練成したところです
ここに日清 日露 大東亜戦争に於ける功績を記念すると共に遠く異國に眠る英霊の武勲を讃える為 生き残った私ども戦友同志の心を一つに結び平和の祈りをこめて工兵隊の日を建立し永く後世に伝えるものであります

戦争中工兵第二聯隊に於て動員された部隊名
工兵第二聯隊
工兵第十三聯隊
独立工兵第三聯隊
其の他 各隊

昭和45年5月10日建之
工兵隊記念碑建立委員長
高橋卓三

(碑文より)

工兵隊跡(現:仙台国際センター)



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