平成20年6月13日
紀元前551年(一説には552年)〜紀元前479年
東京都文京区湯島・湯島聖堂でお会いしました。
名は丘きゅう、字は仲尼ちゅうじ。
祖先は殷の子孫が周に封じられた宋国の貴族で、魯国昌平郷陬邑すうゆう(現・山東省)に生まれた。
魯国・斉国などに仕官した後、周初を中心とする封建制の時代を理想とし、その礼楽や古典の研究、教育にあたった。
50代で再び魯国に仕官し、宰相を代行して君主政治の再建をめざすが失脚し、諸国を廻って政治の理想を説いた。
晩年は魯国で弟子の育成に専念し、この教団がのちに儒家となった。
「論語」はその言行録。
渡来人を通じて日本に儒教が伝わると、孔子も聖人と紹介され、釈奠せきてんの儀でも祭祀の対象とされた。
儒教が体制教学となった近世には、儒学者によって日本独自の多様な孔子像が提唱された。
孔子像 (湯島聖堂) (平成20年6月13日) |
湯島聖堂 (東京都文京区湯島1−4−25) (平成20年6月13日) |
史跡 湯島聖堂
国の史跡指定 1922年(大正11年)3月7日
所管 文化庁・東京都教育委員会
管理団体 財団法人 斯文会(しぶんかい)
公開時間 9:30〜5:00(冬は4:00)
■湯島聖堂と孔子
「孔子」は、2,500年ほど前、中国魯の国(今の山東省曲阜市)昌平郷に生まれた人、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えました。
儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、1690年(元禄3年)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や「学舎」を建て、自らも「論語」の講釈を行うなど学問を奨励しました。
1990年(平成2年)聖堂は創建300年を迎えています。
■昌平坂学問所跡
1797年(寛政9年)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築し、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開きました。
学問所は、明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たしました。
■近代教育発祥の地
明治維新により聖堂は新政府の所管となり、明治4年に文部省が置かれたほか、国立博物館(今の東京上野)、東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今の御茶の水女子大学)などが置かれ、聖堂は近代教育発祥の地となったのです。
■現在の湯島聖堂
もとの聖堂は4回もの江戸大火にあって焼失、再建を繰り返し、さらに大正12年関東大震災でも焼失しました。
今の建物は1935年(昭和10年)鉄骨、鉄筋コンクリート造りで再建したものです。
ただし、入徳門は1704年(宝永元年)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっています。
(説明板より)
平成23年4月29日
東京都三鷹市・井の頭自然文化園彫刻園でお会いしました。
孔子像 (東京都三鷹市井の頭4−1・井の頭自然文化園彫刻園) (平成23年4月29日) |
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