(松江郷土館)
島根県松江市殿町1番地53 松江城山公園内
平成16年11月21日
興雲閣
県指定建造物(昭和44年2月18日指定)1棟
この建物は、山陰地方に明治天皇をお迎えしようという地元の強い要望によって、その御宿所とするため松江市が13,489円かけて明治36年(1903)に建設した。
まもなく日露戦争が起り、天皇の行幸は実現しなかったが、明治40年5月、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰行啓のとき、御旅館としてその努めを果たした。
当時はロシア宮殿風といわれ、その名は広く近隣にとどろいた。
木造白塗りの壁に入母屋の瓦屋根をのせた擬洋風で、1・2階とも周囲に列柱廊を設け、廻廊をめぐらす。
ポーチ上の部屋は応接室で拝謁所に使用された。
洋風スタイルの中に和風の装飾を取り入れた明治の木造建築として貴重である。
長く大切に保存されてきたが、昭和48年からは館内に「松江郷土館」を置き、郷土の歴史・文化・民俗等の資料を展示、公開している。
松江市教育委員会
(説明板より)
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興雲閣 |
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2階廻廊 |
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2階廻廊 |
当時、ロシア宮殿風といわれたこの建物は、建築年代にくらべて様式が古く、全体がきゃしゃな洋風スタイルの上に、入母屋の屋根を乗せています。
また和風の意匠を随所に取り入れて、明治期の擬洋風建築の特徴をよく表しています。
正面から見ると、北寄りに玄関がありそこが車寄せ(ポーチ)になっています。
建物の周囲は、1階・2階とも列柱(コロネード)を配し、1階は石敷き、2階は手すりをめぐらした回廊になっています。
1階の柱は大根島産の火山石(島石)を使った台石の上に立ち、柱頭を装飾した持ち送りを付けて深い軒を支えています。
原形がほとんど変えられずに保存されてきたこの明治期の洋風木造建築は、全国的にも珍しく、1969年(昭和44)に島根県有形文化財に指定されています。
(リーフレットより)
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2階への階段を上がったところ |
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2階展示室 |
松江郷土館は、興雲閣の保護と、貴重な郷土資料の収集・展示を目的として、昭和48年11月3日、松江市によって開館しました。
館内は江戸の末期から昭和まで約100年におよぶこの地方の文化資料が展示され、近代松江の歴史を見ることができます。
主な収蔵品と展示
(リーフレットより)
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ホーランエンヤの模型 |
ホーランエンヤ(松江城山稲荷神社式年神幸祭)は、5地区の櫂伝馬(踊り舟)船団を中心に約100隻が連って、宍道湖・大橋川・中海をゆく、船行列で、日本三大船神事の一つ
徳川初期から300年以上も続けられてきた12年に1度の祭りで最近では平成9年5月、12年ぶりに行なわれた。
(説明板より)
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応接室(拝謁所) |
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貴賓室(御座の間) ここ貴賓室は皇太子宿泊時に御座所・御寝所となりました。 |
皇太子山陰行啓
明治40年(1907)の5月から6月上旬にかけて、皇太子嘉仁親王(大正天皇)は明治天皇の名代として山陰地方を行啓された。
松江には5月22日から25日まで滞在された。
(展示説明文より)
案内 |
開館時間:午前8時30分~午後5時
年中無休
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