神指城 こうざしじょう

福島県会津若松市神指町


神指城跡 平成20年5月5日

神指城跡

慶長5年(1600)120万石を領する時の会津藩主上杉景勝は、石田三成等と力を合わせて徳川家康を討とうとしたが、鶴ヶ城は山に近く守備に不利と見て、神指ヶ原に大規模な城郭を築くことを計画、家老直江兼続の指揮のもと12万人の人夫を動員し、昼夜休みなく工事を急がせた。
しかし関ヶ原の戦は家康の勝利に終わったため、工事を途中で中止した。
それ以後、この城は廃城となり現在にいたっている。

(説明板より)

巨石




巨石





(平成20年5月5日)

説明

慶長5年、時の会津藩主上杉景勝が高瀬村に新城の築営を行ったが完成しないまま現在に至る。
この巨石はここより南方3百米の本丸に慶山村「現・東山町」の山中から運んだといわれる石垣の基礎石で昭和58年にここに移し保存するものである。

高瀬共有財産区

(説明板より)

高瀬のケヤキ




高瀬のケヤキ






(平成20年5月5日)

国指定天然記念物 文部省告示第23号
高瀬の大木(ケヤキ)
会津若松市神指町大字高瀬字五百地

慶長年間に上杉景勝が築城した神指城跡の東北隅の土塁上にある。
築城前から既に大木であったことが知られ、根元の周囲12.55メートル、目通りの幹囲10.45メートル、樹高24.64メートルある。
大枝の折損が相次ぎ、幹部に亀裂が生じてきたが、樹姿はなお堂々としてすぐれ、ケヤキの巨樹として有数のものである。

昭和56年11月
会津若松市教育委員会

(説明板より)



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