子安峻 こやす・たかし

天保7年1月2日(1836年2月18日)〜明治31年(1898年)1月15日


美濃国生まれ。
佐久間象山大村益次郎に学び、外務省翻訳官として活躍。
明治3年(1870年)4月、本野盛亨もとのもりらと活版印刷所日就社を設立。
「英和字彙」を出版後、同社から明治7年(1874年)11月「読売新聞」を創刊。
初代社長となり、実業界・財界に重きをなした。


新聞創刊の地



新聞創刊の地

(東京都千代田区霞ヶ関3−8)

「新聞創刊の地」碑は千代田区に建っているのですが・・・
なぜか碑文は港区教育委員会なのです。


(平成20年6月14日)

新聞創刊の地

洋学者子安峻らが 当時虎の門外琴平町1番地の旧武家屋敷に わが国初の本格的な大衆啓発紙読売新聞を創刊したのは 明治7年(1874年)11月2日である
江戸時代の情報伝達形式であった「読売瓦版よみうりかわらばん」から名をとって題号とし 漢字にふりがなを施した平易な新聞として出発した
創刊のころ漢字教育を与えられていなかった市民から 町名番地にちなんで「千里を走る虎の門 ことひらがなは一番なり」と歓迎された
維新後の東京に発祥した開明的な大衆紙から 今日に至るまで題号を変えず全国紙に発展したのは わが国新聞史上類例のないことである

昭和49年11月
東京都港区教育委員会

(碑文より)




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