久保田城 くぼたじょう

(別称:矢留城・葛根城)

秋田市千秋公園1−39


久保田城跡の説明板より

久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城である。
秋田初代佐竹義宣(よしのぶ)が慶長7年(1602)入部し、翌8年現在地に築城した。
天守閣と石垣のない城として知られている。
本丸は明治13年(1880)7月の火災で全焼した。
同23年公園として解放されその後千秋公園と称し現在に至っている。

(平成10年10月  秋田市)


佐竹義宣は関ヶ原の合戦時に東西両軍に態度を明確にせず、中立的な立場をとったために、戦後、54万5千石の常陸から20万5千石の秋田に転封されてしまいました。


久保田城の表門





久保田城表門(一ノ門)





平成14年10月5日訪問
久保田城表門
表門は久保田城本丸の正面で、一ノ門とも呼ばれていた。
本丸の玄関口として警備上からも重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局」[ごばんがしらべや]、門の下手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」[おものがしらごばんしょ]を置いて厳重な守りを固めていた。
久保田城は慶長8年(1603)に築城して翌年に完成し、表門は元和8年(1622)に最初の建て替えが行われている。
その後、寛永10年(1633)、安永7年(1778)など何度か火災に見舞われている。
この門は、絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建したもので、構造は木造二階建て瓦葺き櫓門であり、佐竹20万石の正門にふさわしい壮大なものとなっている。


(平成13年3月  秋田市)


佐竹義堯の銅像

秋田藩最後の12代藩主・佐竹義堯よしたか
(本丸御殿跡)


千秋[せんしゅう]公園
久保田城の本丸・二の丸跡に位置する。
千秋公園の命名者は、秋田県出身の漢学者・狩野良知[かのう・りょうち]で、「千秋」の由来は秋田の秋に長久の意の千を冠し、長い繁栄を祈ったものと言われている。
御隅櫓
市制100周年を記念して復元された本丸新兵具隅櫓だが、史料に基づく正確な外観復元ではない。
史料に記されている二階造りを基本に、その上に展望室を加えて、鉄筋コンクリート造り三層四階建てとなっている。内部は佐竹の資料の解説やパネル展示の資料館になっている。
御物頭御番所
久保田城内の二ノ門(長坂門)の開閉の管理と城下の警備、火災の消化等を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所。
久保田城内に唯一残っている藩政時代の建物。
昭和63年に保存修理が実施された。

佐竹史料館

秋田市立 佐竹史料館
(千秋公園内)


入館料:一般100円 高校生50円
休館日:年末年始
(平成14年現在)

平成14年10月5日訪問


秋田藩

時代 西暦 和暦 藩主 事項 歴史的事項
安土桃山 1602 慶長 7 佐竹義宣 佐竹義宣秋田に移封される  
江戸 1603 慶長 8 久保田城の築城を始める
領内最初の総検地を実施
院内銀山開坑
徳川家康
征夷大将軍
に任ぜられる
1604     9 久保田城竣工  
1607    12 久保田城下の町割りが始まる  
1613    18 第2回総検地を実施  
1614 元和 1   大阪冬の陣
1615     2   大阪夏の陣
1616     3   家康没す
1620     6 一国一城令により、十二所・角館
湯沢・檜山城を破却
 
1623     9   3代将軍家光
1630 寛永 7 久保田・湊・大館・十二所・能代
横手に町代官を置く
 
1632     9 久保田城下大洪水し町内浸水  
1633    10 佐竹義隆 義宣、江戸で歿す(64歳)
義隆よしたか2代目藩主となる
久保田城焼失
 
1637    14   島原の乱
1643 正保 2 第3回総検地を3年間に渡り実施  
1650 慶安 3 久保田大火、2,000軒焼失  
1651     4   4代将軍家綱
1655 明暦 1 初めて土崎湊から東廻り廻船を江戸に出す  
1664 寛文 4 初めて領地判物(20万5800石)を与えられる  
1672    12 佐竹義処 義処よしすみ3代藩主となる  
1674 延宝 2 久保田大火、1966軒焼失  
1680     8   5代将軍綱吉
1685 貞享 2   生類憐みの令
1689 元禄 2 松尾芭蕉、象潟に来遊  
1692     5 秋田藩の人口、34万6411人となる  
1702    15   赤穂浪士討入り
1703    16 佐竹義格 義処、江戸よりの帰途に
横手城中で没す(67歳)
義格よしただ4代藩主となる
 
1709 宝永 3   6代将軍家宣
1712 正徳 1   7代将軍家継
1715     5 佐竹義峯 義格、没す(22歳)
義峯よしみね5代藩主となる
 
1716     6   8代将軍吉宗
1730 享保15 久保田大火、1110軒焼失  
1732    17   享保の飢饉
1737 元文 2 川尻村に鋳銭所を設ける
翌年より鋳銭を始める
 
1745 延享 2 幕命により、秋田の鋳銭座停止される 9代将軍家重
1746     3 領内の人口、38万4592人となる  
1749 寛延 2 佐竹義真 義峯、没す(60歳)
義真よしまさ6代藩主となる
 
1753 宝暦 3 佐竹義明 義真、没す(22歳)
義明よしはる7代藩主となる
 
1754     4 銀札を発行  
1755     5 銀札発行により各地で騒ぎ起こる
大凶作で米価高騰
 
1757     7 銀札事件(秋田騒動)起こる
久保田町大火、1288軒焼失
 
1758     8 佐竹義敦 義明、没す(36歳)
義敦よしあつ8代藩主となる
 
1760    10   10代将軍家治
1772 安永 1   老中・田沼意次
1778     7 久保田城本丸全焼  
1783 天明 3 久保田城下外町大火、1956軒焼失  
1784     4 大飢饉  
1785     5 佐竹義和 義敦、江戸邸で没す(38歳)
義和よしまさ9代藩主となる
 
1786     6   11代将軍家斉
1787     7   老中・松平定信
1795 寛政 7 平田篤胤、20歳で江戸に上る
藩校に医学館を併置
 
1802 享和 2 伊能忠敬、秋田地方を測量する  
1804 文化 1 鳥海山地震、象潟隆起して陸地となる  
1810     7 男鹿地震、寒風山噴火  
1815    12 佐竹義厚 義和、没す(41歳)
義厚よしあつ10代藩主となる
 
1825 文政 8   異国船打払令
1828    11   シーボルト事件
1834 天保 5 大凶作、疫病で死者5万2464人  
1837     8   12代将軍家慶
大塩平八郎の乱
1841    12   天保の改革
1843    14   老中・阿部正弘
1846 弘化 3 佐竹義睦 義厚、江戸邸で没す(35歳)
義睦よしちか11代藩主となる
 
1849 嘉永 2 久保田町大火、
内町2500件、外町2,000軒焼失
 
1853     6   ペリー来航
1854 安政 1 土崎湊に西洋流砲台を築き
海岸防備を強化
 
1857     4 佐竹義堯 義睦、没す(19歳)
義堯よしたか12代藩主となる
 
1858     5   14代将軍家茂
大老・井伊直弼
安政の大獄
1860 万延 1   桜田門外の変
1862 文久 2   生麦事件
1863     3 江戸市中取締役の幕命を拒否して
義堯帰国する
薩英戦争
1864 元治 1   第1回長州征伐
1865     2   第2回長州征伐
1866 慶応 2 秋田領内で台風の被害甚大、大凶作 15代将軍慶喜
薩長連合
1867     3   大政奉還
明治 1868 明治 1   鳥羽伏見の戦い
江戸無血開城
1869 明治 2 版籍奉還により、義堯、知藩事に任命される 戊辰戦争終結
版籍奉還
1871     4 久保田藩を秋田藩と改める
由利・鹿角を合わせて秋田県となる
廃藩置県
1872     5 本丸(千秋公園)において秋田県庁開庁する 新橋〜横浜間
鉄道開通
学制公布

久保田城ものがたり
渡部景一 著  無明舎  1998年2刷発行  1,300円
(内容)
第1章:佐竹氏の秋田転封
第2章:転封当時の久保田
第3章:久保田城の築城
第4章:城の中枢本丸
第5章:本丸周辺の郭
第6章:登城と下城
第7章:散策コース


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