空母 瑞鳳 ずいほう


航空母艦瑞鳳の碑



航空母艦瑞鳳之碑
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

建碑の詞

あれから星霜30有余年!!
想いおこせばあの大東亜戦争で赫々の武勲に輝く空母瑞鳳とその「瑞鳳」と共に散華された7百余名の戦友は今だにレイテ湾沖に瞑りその収骨は絶望で戦友は永遠に還らぬ人となりました。
私達「瑞鳳」生存者一同相計り英霊の瞑りの安らかなことを願い懐かしい母港「佐世保」を一望できる此処東山の景勝の地に慰霊の碑を建立いたしました。
数多の遺族が、かけがえのない肉親の遺影を偲び時には私達が訪れて戦友を弔い香■を手向ける静かな心の里としたいとおもいます。
今祖国日本は平和で世界有数の経済大国といわれていますこれも偏にあなた方諸勇士の犠牲でなくてなんでありましょう。
英霊よこの聖地から祖國日本の益々の繁栄と御遺族の御多幸をお護りください。
こゝに空母「瑞鳳」と共に殉じた諸勇士の輝かしい武勲とその殉国の精神を後世に伝え又今後の戦争再発防止と祖国日本の永遠の平和を祈りながら 「瑞鳳」と共に殉じた戦友よ祖国の地にこころやすらかにお瞑りください。

昭和53年3月20日
瑞鳳生存者一同

(碑文より)

航空母艦瑞鳳

要目
基準排水量    11,200頓
公式状態排水量 13,200頓
全長         201.43M
最大巾       18.00M
馬力         52,000HP
速力         28.0ノット
飛行機搭載数   30機
飛行甲板の長さ及び巾 180M−23M
備砲 12.7CM連装高角砲4基
    25M/M3連装機銃10機
    ロケット砲2基

経歴
(1)高速給油艦高崎を建造中途から航空母艦に改装し昭和15年12月15日竣工 瑞鳳と命名され同時に連合艦隊第3航空戦隊に編入。
(2)昭和16年12月8日開戦と同時に主力艦隊の警戒艦として参戦。
(3)昭和17年6月アリューシャン群島方面作戦に第2機動部隊として参戦し山本五十六司令長官より感状を授与される。
(4)ミッドウェー海戦後第1航空戦隊に編入され 昭和17年7月14日ソロモン海々戦に参加。
(5)昭和17年10月15日南太平洋海戦に参加し発着甲板に被弾す 此の海戦で米空母ホーネット轟沈・エンタープライズを大破する戦果を揚ぐるも戦死者17名を出す。
(6)昭和18年1月トラック島の前進基地に進出し同年11月5日から翌年2月迄の間横須賀前進基地間の飛行機輸送に従事する。
(7)3号作戦により昭和19年5月15日タウイ々島に進出 マリアナ沖海戦に参戦し無被害にて内地帰朝。
(8)昭和19年10月22日08.00発動の比島沖海戦に小沢部隊として参戦 この海戦は史上最大であり、おそらく最後の艦隊決戦になるであろう。
海戦で日米双方が艦艇198隻飛行機2000機を投入し死斗をくりかえしたが瑞鳳に爆弾2発魚雷命中右舷2本のほか至近弾82発を受け船体2つに折れる
昭和19年10月25日15時26分死斗7時間26分 フィリピン海溝に沈没する
開戦より参戦し3年10ヶ月余り赫々たる武勲を残し空母「瑞鳳」の幕を閉じる。

(碑文より)

航空母艦瑞鳳戦没者慰霊碑

横須賀工廠において建造中の給油艦「高崎」を改造して、昭和15年12月27日航空母艦「瑞鳳」として完成。
昭和15年12月15日付で佐世保を本籍とされている。

本艦は、姉妹艦「祥鳳」とともに高速給油特務艦から潜水母艦に、さらに空母に改装されたものである。
大東亜戦争においては、ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦等に参加して戦果を挙げた。
比島沖海戦においては小沢長官の指揮する機動部隊本隊すなわち囮艦隊に属して奮戦。
わが兵力は空母4、戦艦2、軽巡3、駆逐艦8。
これを迎え撃つ米艦隊は空母10、戦艦6、重巡2、軽巡3、駆逐艦41という大兵力。
特に搭載航空機に至っては我が方が僅か18機であるのに対して米側は実に630機という比較にならぬものだった。
小沢艦隊の作戦目的はこのハルゼ―大将指揮の艦隊を北方に吊り上げて、我が主力艦隊である第1、第2遊撃部隊のレイテ湾突入を容易ならしめようというものであった。
小沢艦隊は昭和19年10月20日夕刻、豊後水道を出撃し南下。
24日朝、敵機動部隊を発見し、攻撃隊が発進したが、この航空部隊は敵を発見することができなかった。
24日午後、米索敵機が小沢艦隊を発見。
25日午前7時、小沢艦隊は進路0度(北)に指向し、米機動部隊の北方吊り上げにかかる。
午前8時15分、敵の第1波80機が襲ってきた。
8時35分、瑞鳳を襲った爆弾のうち1発が後部甲板を直撃。
リフトを貫通してリフト機械室を破壊。
その2分後には旗艦空母「瑞鶴」が魚雷命中により大傾斜。
8時58分には駆逐艦「秋月」が沈没、空母「千歳」もまた被弾して大傾斜した。
この空襲で軽巡「多摩」が落後。
空母「千歳」は午前9時37分に沈没した。
第2次空襲は午前9時58分から始まった。
10時、空母「千代田」は左舷後部に爆弾1発を受け、火災を起こして航行を停止。
敵は空母「瑞鶴」を主に攻撃したが、「瑞鳳」も至近弾多数のため破孔を生じて傾斜。
この頃、サマール沖では、我が栗田艦隊が米第7艦隊(キンケイド中将指揮)の護衛空母を撃ちまくっていた。
キンケイド中将はハルゼ―大将に救援依頼の緊急信を打った。
小沢艦隊を猛攻撃中のハルゼ―大将は止むなく指揮下の大半の兵力を率いて11時15分反転南下。
これにより我が小沢艦隊の目的は達せられたが、このことは栗田艦隊に伝わらず、栗田中将は後世言われる〈レイテ湾謎の反転〉をするのである。
一方、小沢艦隊はハルゼ―大将が残置したミッチャー中将の第3、第4任務群から攻撃を受けることになる。
午後1時6分、第3次空襲。
この回の攻撃が最も熾烈を極める。
空母「瑞鶴」は魚雷7本命中、爆弾4発命中。
機械・舵が止まり大火災を起こし浸水のため大傾斜。
午後2時14分「瑞鶴」沈没。
「瑞鳳」」では午後1時17分、後部に魚雷が命中し右に傾斜。
28分から3分間の間に至近弾7発を受ける。
11時50分、第2缶室使用不能となり、2時5分には遂に航行不能となった。
総員退艦。
「瑞鳳」は艦尾が沈み、左舷艦首を持ち上げて沈んで行った。
時に10月25日午後3時27分であった。
碑は昭和53年3月20日建立された。
戦死者216名を祀ってある。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)

 佐世保東山海軍墓地休憩所展示写真

昭和19年10月25日午後3時25分 比島沖エンガノ岬北方にて敵機の攻撃をうけ沈没 (写真解説文)


【祥鳳型】

昭和5年(1930年)に締結されたロンドン条約により、1万トン以下の小型空母も保有枠の対象となった。
そこで制限外の艦種だった潜水母艦、水上機母艦、給油艦を、戦時になれば短時間で空母に改造できるよう計画した。
昭和8年度の計画で建造されたのが、のちに空母「龍鳳」になった潜水母艦「大鯨」。
翌年にもそれぞれ空母「祥鳳」「瑞鳳」になった給油艦「剣崎」「高崎」の計画が成立している。
このため、「龍鳳」「祥鳳」「瑞鳳」は厳密には同型艦ではないが、艦型や性能がほぼ等しいため艦隊でも同型艦と扱っている。

【要目】(祥鳳・昭和16年)
公試排水量:1万3100トン
機関出力:5万2000馬力
速力:28ノット
航続力:18ノットで7800海里
乗員数:785名
兵装:12.7cm連装高角砲×4
    25mm連装機銃×4
搭載機数:27機(補用機3機)

【同型艦】
祥鳳(昭和17年1月26日竣工〜昭和17年5月7日戦没)
瑞鳳(昭和15年12月27日竣工〜昭和19年10月25日戦没)
龍鳳(昭和17年11月28日竣工〜終戦時残存・解体処分)

(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)


【ロサ弾】

米空母機に悩まされていた日本海軍は、ロケット弾を対空用に使用した。
日本海軍のものは、直径12.2センチ、長さ43.5センチの「ロサ弾」であった。
この名は、ロケット式散弾の頭文字をとったものである。
長さ3.5センチ、幅0.5センチの小鋼管60個が内部にギッシリとつまっており、この鋼管の中には焼夷薬が入っている。
このロサ弾は発射後0.92秒たつと電気的に時限信管が働き、炸裂して、あたりに弾片をまき散らす。
無数の弾片のうちの一部が敵機に命中すれば致命傷となるのだ。
射程は350〜500メートルとされ、敵機との距離のタイミングをとらえて発射する。

ロサ弾は昭和19年7月頃から、内地で空母に装備された。
栗田艦隊(第2艦隊)は、スマトラのリンガ泊地へ南下していたので、装備する暇もなくフィリピン海域に臨んでいる。
「ロサ弾」は28連装のものと30連装のものとがあり、「噴進砲」と称せられた。
28連装のものは、空母「瑞鶴」「千歳」「龍鳳」「雲龍」「隼鷹」「瑞鳳」に各6基、合計168門を積み、30連装のものは航空戦艦「日向」「伊勢」、空母「海鷹」に付けられた。

噴進砲のデビューは昭和19年10月25日のレイテ沖海戦である。

空母「瑞鶴」は反省すべき戦訓として、次の3点をあげた。
@噴進砲はあまり早く撃たぬこと。白煙のため25ミリ機銃発射の邪魔になるためである。
A1基あたり士官1名、兵3名の計4名がつくが、彼等には防火服、または飛行服が必要である。
Bカーチス・ヘルダイバーSB2C艦上爆撃機は、いつも高度500メートルから降下に移るから、炸裂距離が500〜600メートルとなるよう、あらかじめ信管秒時をセットしておくとよい。

(参考:木俣滋郎 著 『幻の秘密兵器』 光人社NF文庫 1998年8月発行)

(平成31年4月18日 追記)




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