(平和慰霊公苑・郷土資料館・ボリスさんのダーチャ)
平成25年(2013年)7月26日・2日目 |
移動途中で見た景色 |
我がツアーには、今回も“紅一点”の保守派の女性が参加されている。
済州島ツアーの時も、カンボジア・ベトナムツアーの時も、なぜか、保守派の女性が一人だけ参加されていた。
今回の参加者は“トミタさん”という方だが・・・
言っている内容、しゃべり方が、今までお会いした保守派のオバチャンたちと全く同じなのである。
これには驚いた。
移動中のバスの中で散々、「~しなさい!」「~せねばなりません!」などと説教されるのは鬱陶しくて面白くない。
私は、こういう高飛車な命令口調は好きではない・・・
相手にしなければいいのだろうが、私は、ついつい、刃向かってしまうのである。(苦笑)
「旅行」に政治や思想を持ち込むのは非常識だと思うんですけど・・・
なんで初対面の人間に、頭ごなしに、とやかく言われなくちゃならないんだろう?
こちらがわざと不愉快な顔をしても懲りないのは“保守派のオバチャン”の特徴である。
相変わらず、「誰それ“先生”の講演会でこういう話を聞いた」「誰それ“先生”の本にはこういうことが書いてある」の話と・・・
最後には「そういうことも知らないの?読んだことないの?信じられない!それでも日本人なの?」と言ってくるんだから腹が立つ。
受け売りの話ばかりを自慢げに語るのも、“保守派のオバチャン”の特徴である。
なんで、みんな、こうなのだろう・・・
あ~あ~・・・次回は、こういう“保守派のオバチャン”が参加するかどうか確認してからツアーに申し込んだほうがいいかも。(苦笑)
途中で見かけた横断歩道の信号機 「赤信号」の人の形・・・腰に手をあてて威張っているように見えるんですけど・・・ 気のせい?(笑) |
約1時間弱で『平和慰霊公苑』に到着。
慰霊公苑の前の道 | 慰霊公苑入口 |
碑文によれば、この「平和慰霊公苑」は、財団法人の「太平洋戦争戦没者慰霊協会」が1995年に建設したものらしい。
題字は瀬島龍三。
設計は(株)菊竹清訓建築設計事務所。
施行管理は大成建設(株)と(株)間組である。
シベリア戦没者慰霊碑 昭和57年建立 |
碑文 |
春夏秋冬終戦後幾星霜を 過ぎ去りし今も尚をシベリヤの荒野 に無残にも散華されし戦友に 対し唯一人として一本の花一本の 香も捧げる者も無く無念の 戦死を遂げられし戦友の御霊 の安かれと祈願して永遠に鎮魂 されます事を念じ 茲に法要を営み謹んで慰霊 の碑を建立いたします。 昭和57年6月吉日 建立者 岩城隆夫 岡本芳孝 藤原敬二 発起人一同 施工 寺前造園 |
この「公苑」の一番奥に、変な形の建造物が・・・
近づいてみたら、日本政府が建てた慰霊のモニュメントらしい。
日本政府が建てたモニュメント |
碑文 |
日本人死亡者慰霊碑 さきの大戦の後 1945年から1956年までの間に 祖国への帰還を希みながら この大地で亡くなられた 日本人の方々を偲び 平和への思いをこめて この碑を建設する 竣工 平成七年七月三十一日 日本国政府 |
う~ん・・・相変わらず日本国政府が建てた慰霊碑は気に食わない。
いったい、この地で何人の日本人が亡くなったのか?
その人数を書き込まないとはどういうことなのだろうか?
100人なのか、千人なのか、1万人なのか・・・
おおよその数字は書けるのではないだろうか?
ハバロフスク市の協力を得て建設している以上「不当な扱いを受けて・・・」などという露骨な表現は刻めないでしょうけど・・・(苦笑)
人数ぐらいは刻めるでしょ?
どこの国に行っても日本政府の建てた慰霊碑は「多くの方々が亡くなって・・・」というような、まるで他人事のような書き方である。(本当に他人事と思っているからなのだろうが・・・)
いったいどれくらいの人達が、見知らぬ土地で不本意な人生の最後を迎えたのか・・・
亡くなった方は浮かばれないのではないか?
できれば、氏名が判明している人は、その個人名を刻した碑を建ててあげるべきではないだろうか?
ここの土地は広いんだし・・・(苦笑)
で・・・お決まりの「平和」の文言・・・
個人が建てた慰霊碑と比べると、国が建てたものは、何億円ものカネをかけた割には心がこもっていないような気がしてならないのである。
花壇にはマリーゴールドが植えられていた。 へぇ~・・・ロシアにもマリーゴールドってあるんだぁ~(笑) |
参拝というより、“見学”を終えて・・・次は昼食!
時刻は午後1時半・・・遅い昼食である。 写真の左の白い建物が、我々が昼食をとるレストランである。 |
で・・・食事が運ばれてくるまで、時間がありすぎて手持ち無沙汰・・・
そこで、保守派の紅一点、“トミタさん”が「自己紹介をやりましょう!では、そこ!その端の人から!自己紹介!さぁ、やって!」と一方的な“命令”を発した。(唖然)
参加者から「今まで、このツアーで自己紹介なんてやったことないんだけど・・・」という“小さな”声があがった。
確かに、私も、ほぼ毎回、このツアーに参加しているが自己紹介をしたことはない。
が・・・男性陣は基本的に大人しい・・・特にオバチャンに対しては・・・(大笑)
「さぁ!はやく!やってよ!自己紹介!ほら!あなたから!早くやりなさいって!」と、もう傍若無人である。
結局・・・・自分が“語りたい”だけなのであるが・・・この「自己紹介」・・・(大汗)
自分の番になったら途端に言葉遣いが変わり・・・
「わたくしは、何々と申すものでございます」から始まり・・・
昔の言葉というか、“大和言葉”というか・・・「~おわします」とか・・・(苦笑)
どうも、自分の言葉に酔っているとしか思えない口調で話し始めたのである。(汗)
保守派、独特の言い回しって言うの?・・・これ・・・
長々と“自己紹介”・・・・結局、最後には「独演会」となる。
やっぱりね・・・(汗)
付き合いきれないので、タバコを吸いに外に出る。(大笑)
昼食 |
昼食後、中国とロシアの国境にある村に向う。
その村はアムール川とウスリー川の分岐点に当るらしい・・・
この国境の村・・・
名前は、バラチャイスカと言っていたような気がしないでもないが・・・
カザキリジェボ村だったっけかな?(笑)
とにかく、ガイドの話を、まともに聞いていなかった。(大汗)
なにせ、ガイドの脇にピタリと付いて歩いていると、自分の見たいものや写真すら撮れなくなるので、どうしてもガイドから離れてしまうのである。
というわけで、ガイドさんが何の話をしているのか全然聞いていないのである。(大笑)
この村に入るには、ロシア軍のチェックポイントを通過しなくてはならない。
つまり、この村は、ロシア軍の管理下にあるということか?
チェックポイントのゲートで、ロシア軍兵士が1名バスに乗り込んで来た。
彼が、この敷地内の案内をしてくれるそうである。
(まぁ、監視役というほうが正しいと思うが・・・)(苦笑)
最初に向かったのは、この村にある郷土資料館・・・
村の郷土資料館 |
資料館の内部 |
この資料館の女性館長さん・・・
昨晩のマッサージのオバチャンと同じぐらいの巨漢の方で・・・
やっぱり・・・体重は100kgを超えてるよね?(苦笑)
この館長さん・・・ロシア語で熱心に展示物の説明をしてくれる。
どうも、この村の成り立ちから話が始まるので・・・話が長い・・・(汗)
今から155年前にウスリースキ・コザック隊がここに来て村を作ったらしい。
1858年に村が出来たということは・・・日本は安政4年・・・
井伊直弼の安政の大獄があった年である。
そして2年後の北京条約で、ここの国境線が明確になったのだそうだ。
館長さんが止め処もなくしゃべり続けるので、ガイドさんが通訳するタイミングが取れない・・・(大笑)
何度もガイドさんに制止されて館長さん・・・苦笑・・・
ガイドさんからは、あまり時間がないから・・・と言われたようだが・・・
そんなことは関係なく・・・(笑)・・・非常に丁寧な、長い長い解説が続く・・・(大笑)
小さな資料館だが、丁寧に見たら、かなり時間がかかるだろうなぁ~
私は、みんなから離れて展示物を見学させていただいたので、説明の内容はよく知らないが・・・(笑)
結構面白い・・・
個人的に来てじっくりと見学したい気分である。
資料館の見学を終えて、徒歩で村を抜け、川岸に向うこととなる。
と・・・私と同い年の“モリシタくん”が「館長さんと一緒に写真を撮りたいのでお願いしてくれませんか?」と私に頼んできた。
はぁ?なんで俺が?(汗)
先を行く館長さんを呼び止めねば・・・
「パジャ~ルスタ!(ちょっと、すみません!)」
「モージナ・ヴァス・スタファグラフィーラヴァチ(あなたの写真を撮って良いですか?)」
で・・・ここから先のロシア語は話せない・・・(大笑)
「この人と一緒に・・・」なんていう高度な(?)ロシア語は知らない・・・(大笑)
身振り手振りで彼と一緒に写真を撮ってもいいかとお願いして、“モリシタくん”と館長さんのツーショットを撮ってあげる。
「ロシア語、話せるんですか?」と“モリシタくん”
「ん?俺?ロシア語なんか話せないよ~」(笑)
「・・・・?」
だいたい、俺に頼んでおいて、その質問はおかしいだろ?(苦笑)
川岸の展望台・・・
ここから川の向こう側・・・対岸が中国領だそうで・・・
向こうの川岸に立派な展望台らしき東屋と大きな意味不明のモニュメントらしき建造物が見える。
おお~おお~中国め・・かなり無理して見栄を張って、あんなものを建てたんだな・・・(大笑)
ここから対岸を撮影してはいけないというので、写真が撮れなかったのが残念である。(涙)
写真も撮れず、ただボォ~と対岸を見続けるのは面白くない・・・退屈だ。(笑)
タバコ・・・吸いたいなぁ~(大笑)
写真撮影も、タバコも許可を得るには、ガイド兼監視役のロシア兵に許可をもらったほうがよかろう。
「ズヂェシ・モージュナ・・・・(吸ってもいいですか?)・・・え~と、何だっけ?」
「え~と・・・スモーキング!・・・シガレット!・・・タバコ!・・・え~と、これ!」(笑)
と・・・ロシア兵が「クゥリーチ?」と言う。
クゥリーチ・・・って何だ?(苦笑)
「クゥリーチ!」といいながら、私のタバコを指さしたから、多分、タバコという意味だろう。(大笑)
吸ってもいいと言っているのが身振りでわかったので、ようやく一服できた。(大笑)
と・・・この兵士がロシア語で話しかけてきた!(大汗)
あの・・・俺・・・ロシア語は話せないんですけど・・・(涙)
と・・・そこに今度は資料館の館長さんがニコニコしながら、ロシア語で話しかけてきた。(大汗)
だから・・・俺・・・ロシア語が話せないんですけど・・・(大涙)
え~と、ロシア語で「私はロシア語が話せません」ってどう言うんだっけ?
でも、ロシア語でロシア語は話せませんって言ったらおかしいよな?
あ~難儀なことである・・・笑って誤魔化すしかない・・・(苦笑)
続いて向ったのが、この村の“ボリスさん”(66歳)のお宅・・・
ここは、ダーチャと呼ばれる「夏の別荘」だそうだ。
ボリスさんのダーチャ(夏の別荘) |
ボリスさんのお庭 |
お庭には花やら野菜が栽培されていた。
犬もいればニワトリもいる。
もう、自給自足という感じである。
自家製のピクルス、自家製のハチミツ、庭で採れたラズベリーなどで、おもてなしを受ける。 |
“ボリスさん”が少し白濁した飲み物を私に勧めてきた・・・・
なんだろ?・・・これ・・・
と・・・彼がロシア語で延々と話しかけてくる。
あのぉ・・・私はロシア語はわからないんですけど・・・(苦笑)
どう身振り手振りで「わからない」って言っても、彼は私に話しかけるのをやめない・・・(涙)
そんなに私はロシア語が話せるような顔をしているのだろうか?(苦笑)
それとも・・・ロシア人に見えるのかな?(大笑)
もう限界だ・・・「ガイドさん!通訳して!」
ガイドの彼女が言うには「これは白樺の木から取ったジュースです」と言っていると言う。
はぁ?それだけの話?
それにしては随分長いこと話しかけられていたんですけど・・・(汗)
ガイドさんに通訳してもらった途端、“ボリスさん”は私に二度とロシア語で話しかけなくなった。
ん?ようやく私がロシア人ではなく、日本人で、しかもロシア語ができないということがわかったのかな?(大笑)
ちなみに、この白樺の木から取ったジュース・・・
なかなか、さっぱりしていて美味しかった!
天然の清涼飲料水だな・・・これは・・・
バスに乗り込み、さぁ、帰りましょう・・・となった時に、この村の村長さんが現れた。(笑)
ちょっと登場が遅いんですけど・・・(大笑)
一応、代表者だけがバスから降りて挨拶をする。
時刻は午後4時過ぎ・・・今日の観光はこれで終了である。
帰りのバスの中で、またもや“トミタさん”の「独演会」が始まった。
どうして、こうも保守派のオバチャンというのは、懲りないのかねぇ~(汗)
今度は8月15日の件についてである。
「あの武道館で行なわれる全国戦没者追悼式・・・どう思われます?」と私に議論を吹っかけてきた。(汗)
「あんなところに英霊が来るわけないですよね!英霊がいるのは靖国神社でしょ?あんな棒切れ立てて、天皇陛下をお呼びして・・・本来ならば陛下は靖国神社にお参りに行くべきなんですよ!」
「はぁ・・・・」
「靖国神社から英霊を武道館にお迎えするならするで、そういう儀式がちゃんとあるんですよ!あなた、知ってますか?ちゃんとそういう儀式をやってならわかるけど、なんですか、あの追悼式!冗談じゃないわよ!あんなのやったって英霊が喜ぶはずがないでしょ!そうでしょ!」
・・・と・・・まぁ~テンションの高いこと・・・(唖然)
黙って無視すればいいものを、それが出来ないのが私の悪い癖である。(苦笑)
「靖国神社から神主が来て、武道館でそんな儀式を行なったら天皇陛下は参列できなくなるんじゃないですかね?」
「何でよ!どうして陛下が来れなくなるわけ!」
「靖国神社が関わったら揉めるんじゃないんですかね?それでは陛下は参列できなくなるんじゃないんですかね?」
「どうしてよ?魂を移さなかったら意味がないでしょ!」
「揉め事は陛下は避けたいと思われるんじゃないでしょうかね?天皇陛下が参列するためには、あのやり方でいいんじゃないでしょうか?」
「そんな馬鹿な話はないわよ!」
「だいたいね・・・英霊が集まるわけがないとかって、我々はわからんでしょ?見えないんだから・・・」
「・・・・」
「もしかしたら、集まっているかもしれないでしょ?それとも、あなたには見えるんですか?英霊が集まっているかどうかわかるんですか?」
「あんなところに集まってくるわけがないでしょ!当然でしょ!」
「言い切れるんですか?」
「・・・・」
「集まるわけがないとか、喜ぶわけがないとか、一方的に決めつけていいんですか?慰霊というのは、それぞれの人の気持ちの問題じゃないんですか?気持ちがあれば武道館だっていいんじゃないの?ん?勝手に決めつけていいのかって!(怒)」・・・ついつい頭に血が上って怒鳴ってしまった。(大汗)
「・・・・」
ついに“トミタさん”は憮然として黙ってしまった。
ラッキー!これで静かになった!(大喜)
こういう問題は理屈を捏ね回したらキリがないと思うのである。
所詮、気持ちの問題なのである・・・と私は思うのです。
だいたい私は英霊になったことがないから英霊の気持ちなぞわからないし・・・(笑)
たぶん、こうしたら喜んでくれるだろうなぁ・・・と想像するだけである。
喜ばない、喜ぶはずがない・・・と決めつけるのはおかしいのだ。
どうも、こういう人達は視野が狭いんだよなぁ~
靖国神社が絶対・・・という考え方・・・
それじゃ、全国各地にある護国神社はどうなるんだろう?
その地方の出身戦没者を祀ってあるんでしょ?護国神社は・・・
英霊は、どっちにいるというんだ?
理屈を捏ね回したら、おかしな話になってしまうんじゃないだろうか?
英霊のことを忘れない・・・慰霊をしてあげる・・・その気持ちが大事なんじゃあるまいか?
極端な話し、時間や場所なんかどうでもいいのではあるまいか?
8月15日でなくてもいいのではないだろうか?
靖国神社でなくてもいいのではないだろうか?
近くの護国神社でもいいのではないだろうか?
もっと極端なことを言ったら、戦没地で慰霊をすべきである。
靖国神社じゃなくて、戦死した場所に行って直接お線香をあげねば慰霊にならない!・・・と決め付けたらどうなるだろう?
出来るのか?
私はやっているが・・・
だからといって、同じ事をしろと他人に強制したことは一度もない。
それぞれが自分の出来る範囲で慰霊をしてあげればいいことなのである。
理屈をこねて決めつけて強制する事ではない!(怒)
どうして、そういうことがわからんのかねぇ~・・・・いい歳して・・・
このあとは、市内に戻って夕食である。
移動途中の景色 う~ん・・・町の外に出ると何にもないんだよねぇ~(大笑) |
こういう団体旅行では、バスの中でガイドさんに積極的に質問をするという方が必ず一人はおられる。
で・・・このツアーにも当然、おられたわけであるが・・・
その質問が、ちょっと困った質問・・・(大汗)
なんと!・・・KGBについての質問だったのである!(唖然)
KGBは「ソ連国家保安委員会」といって、いわゆる治安とスパイ活動をする組織で有名である。
あのプーチン大統領が、このKGBの出身ということでも有名である。
ソ連崩壊後、KGBは「ロシア連邦保安庁」(FSB)となっている。
KGBの任務の中には「反ソ的活動に対する対策」や「ソ連に対するスパイ活動への対策」もあったわけで・・・
当然、現在もこれらは引き継がれていると思うのだが・・・
日本の“保守派”(つまりは、右翼?)のこの団体が、よりによってKGBについて根掘り葉掘りの質問をしちゃ、マズイでしょ?(冷汗)
さすがに、元自衛官で現役時代は諜報活動をしていたという、このツアーのリーダーの“オオツカさん”から「ちょっと、その質問はマズイよ」との指摘があった。
私も同感である・・・
だって、どう見たって、このバスの運転手さん・・・KGB(今はFSB)の職員に見えるもん!(苦笑)
日本語がわからない振りして、しっかりと聞き耳を立てているのかも・・・
ガイドさんはサラリと質問をかわしていたが、この運転手は、そのガイドさんの受け答えも監視しているのかも・・・(笑)
マズイって・・・その質問・・・(大汗)
非常識にもほどがある。
午後5時半、レストランに到着! |
夕食 |
我がツアーのリーダーで“引率者”の“オオツカさん”・・・・
元陸上自衛隊の自衛官で、諜報活動の担当だったと言う。
で・・・ご本人のお話によると・・・
今回のツアーでビザを申請したところ、ロシア側から「ビザは発行しますけど、あなたの場合は現地に到着した段階で入国を拒否する可能性がありますので、そのつもりで来て下さい」と言われたと言う。(唖然)
ビザを発行しておきながら入国を拒否するかも・・・というのは信じられない話だが・・・
それ以上に、そういう人物を“引率者”に選んだ日本の旅行社に呆れた。
もし、本当に入国を拒否されていたら、我々は引率者なしの団体旅行ということになっていたわけである。(汗)
そんな馬鹿な・・・である。
そういえば、私のビザ申請のときもゴタゴタしていたような・・・
特に私の「職業」についてはうるさかったな・・・何度も問い合わせが来たし・・・
ん?私も目をつけられていたのか?(苦笑)
食事を終え、ホテルへ戻り解散・・・
暇だぁ~(大笑)
明日は5時に起床して、ウラジオストクへ移動する。
だから、早く寝なくてはならないのだが・・・寝られるわけがない!
午後10時を過ぎなくては外は暗くならないし・・・
というわけで・・・最上階にあるラウンジに酒を飲みに行ってみることにした。
通常、旅先では滅多に酒を飲まないのだが・・・
さすがに酒でも飲まねば寝られそうもない。(大笑)
ラウンジではショーをやることもあるというガイドさんの話だったが・・・
行って見たら・・・ゲゲゲッ!
広いラウンジに、客は私一人だけである!(唖然)
あららぁ~帰るに帰れない・・・(大涙)
店内にはロシア人のボーイ(マスター?)が1人とウェイトレスが2人・・・
で・・・・店内は・・・シ~ン・・・・(大汗)
ボーイが日本語で「ナニニシマスカ?」と尋ねてきたので、日本語が出来るのかと尋ねたら、出来ないという。(汗)
ウェイトレスは当然日本語は無理だろうと思い、英語は出来るかと英語で尋ねたら、彼女達は英語は出来ないと言う。
う~ん・・・会話する相手がいない!(大汗)
とりあえず水割りを1杯・・・
飲み終えたら、ボーイが「オカワリ?オカワリ?」と日本語で聞いてきた。
必要最小限の日本語は出来る様であるが、会話にはならない・・・(苦笑)
まぁ、私のロシア語よりはまだマシだが・・・(大笑)
折角日本語で声をかけてくれたのだから・・・もう1杯、水割りを頼む。(笑)
と・・・まもなく、ウェイトレス達がカラオケを歌いだした!(驚)
これは私に対する「おもてなし」?・・・(苦笑)
ロシア語の歌は初めて聞くが・・・かなり音程が外れているような気がする・・・(大笑)
まさか、カラオケ代は私が払うことになるんじゃあるまいね?・・・と不安な気持ちになりながら拍手をしてあげる。(大笑)
と・・・気を良くしたのか・・・2曲、3曲、4曲・・・と歌い続ける・・・
「まさか、カラオケ代は私が払うんじゃないよね?」・・・と聞きたいが、そういうロシア語は知らない・・・(汗)
そのくらいでカラオケはやめてもらいたいんですけど・・・(苦笑)
普通なら、「お客さんもカラオケ一曲どうですか?」と勧めると思うのだが・・・
不思議なことにカラオケを勧めたりすることなく、自分たちだけで歌って楽しんでいる。(唖然)
そのうち、ロシア人の青年が2人、店内に入って来たが、ボーイと何か話しているうち不機嫌そうな言葉を残して出て行ってしまった。
続いて中年のオジサンが入って来たが、何も頼まず、カウンターに座ってボーイと少しおしゃべりをしたかと思ったら直ぐに出て行ってしまった・・・(汗)
まもなく、今度は金髪のナイスボディーのご婦人を連れた、どこから見てもマフィアのボスにしか見えないという「ご一行様」・・・というグループが入って来た。(唖然)
が・・・一品だけ頼んで、わずか15分そこそこで出て行ってしまった・・・
その後、誰もお客が来ることなく・・・そのせいか、カウンターに座ってチビチビとやっている私を無視して・・・
ボーイとウェイトレスの3人はボックス席に座って勝手にくつろぎ始めた!(驚)
お客の私は無視?(唖然)
アガサクリスティの推理小説に『そして誰もいなくなった』というのがあるが・・・
本当に誰もいなくなった・・・(大笑)
久しぶりに“濃い”水割りを飲んでしまい眠くなった・・・
ラッキ~!
これで寝られるぞ!
「お勘定!」
この店への入場料が300ルーブル(1,110円)、水割りが1杯、450ルーブル(1,665円)だった。
う~ん・・・これじゃ、客は来ねぇよなぁ~(大笑)
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