(北海道函館市元町11−13)
平成22年5月25日
旧函館区公会堂
明治40年(1907年)8月の大火は函館区の約半数、12,000戸余りを焼失した。
この大火で区民の集会所であった町会所も失ったため、「公会堂建設協議会」が組織され、建設資金として区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように集まらなかった。
当時、函館の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗などの多くを焼失したにもかかわらず5万円の大金を寄附したため、これをもとに明治43年(1910年)現在の公会堂が完成した。
この建物は北海道の代表的な明治洋風建築物で左右対称形になっており、2階にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表わしている。
昭和49年5月、国の重要文化財に指定され、昭和57年約3年を費やして修復された。
函館市
(説明板より)
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商業会議所事務室 (平成22年5月25日) |
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御寝室 (平成22年5月25日) |
【御寝室】
明治44年8月皇太子殿下(のちの大正天皇)が行啓の際、御宿所とされ、また大正11年7月の摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が行啓の際にも御使用されました。
家具・調度品・壁紙・シャンデリア・天井中心飾りなどは往時のもので、修理工事の時に修復されました。
なお、平成元年10月2日には、天皇・皇后両陛下が行幸啓の際に御休憩されています。
(説明板より)
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御座所 (平成22年5月25日) |
【御座所】
明治44年8月皇太子殿下(のちの大正天皇)が行啓の際、御宿所とされ、また大正11年7月の摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が行啓の際にも御使用されました。
家具・調度品・壁紙・シャンデリア・天井中心飾りなどは往時のもので、修理工事の時に修復されました。
なお、平成元年10月2日には、天皇・皇后両陛下が行幸啓の際に御休憩されています。
(説明板より)
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【大広間】
開館当時は、唯一の公共の集会所であり音楽会や舞踏会さらには講習会・華道展・美術展などの各種行事・催物に使用されていました。
現在では、運営協議会が設置され、(財)函館市文化・スポーツ振興財団と共催で年間20回程のコンサートが開催されています。
(説明板より)
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寝室(客室) (平成22年5月25日) |
【寝室(客室)】
公会堂の設計当初は、公共の集会所や商業会議所に利用の他に、採算の面などから実現されなかったが、ホテル営業の計画もありました。
(説明板より)
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明治の乗物赤馬車 (平成22年5月25日) |
【明治の乗物赤馬車】
札幌農学校(北海道大学の前身)の校長であった、橋口文蔵博士(1853〜1903)がアメリカ留学の帰り、明治14年に持ち帰った二人乗りの赤馬車です。
博士が愛用し、開拓地を乗り回したもので、後に有珠郡壮瞥町橋口農場「紫明苑」に保管されていました。
昭和31年に橋口兼清氏から寄贈されました。
昭和59年に修理。
市立博物館蔵
(説明板より)
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