旧弘前偕行社

(青森県弘前市御幸町8−10)


重要文化財
旧弘前偕行社

旧弘前偕行社は、日清戦争後に増設された6個師団のひとつである第8師団の開庁に伴い、建設された。
建物は、南北に長い敷地のほぼ中央に北面して建つ。
明治40年11月の竣工で、建設後は師団将校の交流施設や物販・厚生施設に供されたが、第二次大戦後は財団法人 弘前女子厚生学院の所有となり、近年は同学院の記念館などに活用されている。
木造平屋建で、東西に長い主体部は桁行けたゆき48.8メートルの規模をもち、左右両端を前後に突出させる。
正面は中央部が張り出し、玄関ポーチを設ける。
大規模な洋風建築で、ルネサンス様式を基調とし、華やかな細部意匠は高く評価される。
東北地方に現存する陸軍関係施設の代表的遺構であるだけでなく、陸軍省営繕組織による建築意匠の展開を示すものとしても貴重である。

管理者 財団法人 弘前女子厚生学院
弘前市教育委員会

(説明板より)

【外観・意匠の特徴】

イタリアルネッサンス様式を基調とした翼棟付き木造平屋建て・瓦葺寄棟屋根の偕行社が敷地内ほぼ中央に建つ、ポーチ付き玄関と翼棟が突出した正面性を重視した配置である。
東西に長い主体部は、桁行き48.8mの規模を持ち、正面玄関にルネッサンス風車寄とポーチがあり、玄関ポーチの角にモルタル擬石によるコーナーストーンや玄関上部にルネッサンス風ドーマーウィンドー(屋根窓)が格調を高めている。
その一方で玄関ポーチペディメントには「八」をもじった「蜂」の鉄製飾りを付けるユーモアがあった。
玄関両脇及び翼棟の窓は円形ペディメントのローマ風デザインの上げ下げ窓があり、主棟の窓は三角形ペディメントのギリシャ風上げ下げ窓である。
軒の破風はバージポード(切り抜き板飾り)仕上げで、鉄製の星型換気口は第五十九銀行(青森銀行記念館)と同じである。

(リーフレットより)

玄関ポーチペディメント



玄関ポーチペディメント

第8師団の「8」をもじって「蜂」の飾りがついている。




(平成21年11月2日)

【内部仕上げ及び構造的特徴】

片廊下に縁側付きの集会室は腰板に漆喰仕上げで、漆喰によるシャンデリア付き円形の中心飾りに天井繰型がある。
暖炉には、外国製と思われるタイルが張ってある。
暖炉付き現記念室や会議室は縦長の上げ下げ窓に腰板・漆喰壁・天井は当時の様子をよく残している。
構法は、木造平屋建て、瓦葺寄棟屋根にキングポスト・トラスト構造に平瓦下地のモルタル仕上げの外壁、煉瓦による布基礎は明治期の洋風建築の特徴である。

(リーフレットより)

当時使われていた灰皿




当時使われていた灰皿






(平成21年11月2日)
当時使われていた椅子




当時使われていた椅子






(平成21年11月2日)

沿革

藩政時代は、「九十九森」とよばれ、鷹狩場の一つであった。
九代藩主寧親公が文化12年(1815)に、別邸と庭園(前庭と後庭からなる武学流)をつくった。
明治29年(1896)に弘前市南郊の富田に駐屯した陸軍第八師団の親睦・厚生組織である「弘前偕行社」の新築計画が明治37年(1904)に持ち上がった。
設計担当者は当時の陸軍関係施設を一手に引き受けてきた弘前を代表する棟梁「堀江佐吉」である。
九代藩主津軽寧親別邸跡地(約22,000u)に明治40年(1907)にイタリアルネッサンス風デザインを基調とした第八師団弘前偕行社が完成した。
簡素な玄関ポーチに翼棟を広げたデザインは、当時の軍関係施設の特徴を顕わしている。
戦前は、主に将校の社交場や物販・厚生施設として活用された。
明治41年(1908)皇太子嘉仁親王(大正天皇)がここに一泊したとき、この庭園を「遑止園」と命名し、記念植樹をされた。
大正4年10月(1915)大正天皇の行幸の際、行在所となった。
終戦後、偕行社は解散し、昭和20年9月20日(1945)弘前女子厚生学院が旧弘前偕行社に移転、昭和24年12月9日(1949)には弘前女子厚生専門学校校地並びに校舎が大蔵省より払い下げられた。
昭和55年まで弘前女子厚生学院及びみどり保育園(設置認可昭和23年6月30日)の保育舎として使用してきたが、弘前市教育委員会と相談の上、弘前厚生学院記念館として自主的に保存することとなった。
修復には、設計者堀江佐吉の流れを汲む株式会社堀江組が当たった。
外壁の塗り替え、屋根瓦の葺き替え、縁側屋根トップライトの修復、室内の漆喰壁・腰板などの修復を行っている。

(リーフレットより)

【案内】

開館時間 午前9:00〜午後4:00
休館日   土曜・日曜・祝日


ミニチュア建造物((青森県弘前市大字下白銀町2−1・追手門広場)

旧弘前偕行社
明治40年(1907)建築
縮尺1/10

藩政時代、鷹刈場や別邸、公園だった場所に、陸軍第8師団の厚生施設として堀江佐吉が請け負った最後の建築物。
格調高いルネッサンス風のデザインが特徴で、弘前厚生学院記念館として今もなお、現役で使われている。
国指定重要文化財。

(説明板より)




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