旧大和田銀行本店

(現:敦賀市立博物館)

福井県敦賀市相生町7−8


旧大和田銀行本館 平成20年4月11日

博物館の沿革

本館は近代敦賀港の発展に大きく寄与した二代目大和田荘七翁が35万円の巨費を投じ、大正14年に着工、昭和2年に竣工した旧大和田銀行本店の建物です。
建物のいたるところに大理石を使用し、北陸では初めてのエレベーターを設置するなど大変豪華な洋風建築でした。
これは当時、大陸や西欧への玄関口として栄え「東洋の波止場」と唄われた港町敦賀を象徴する建物となるよう意図し建設されたことを物語っています。
1階の銀行業務室のほか、地下にレストラン、2階には迎賓館を設け、3階は公会堂として町民に解放されました。
昭和20年、大和田銀行は国策により三和銀行と合併し、本館は同行の敦賀支店となり、後、福井銀行敦賀港支店に引き継がれましたが、同支店の移転に伴い、敦賀市が本館を「みなと敦賀」の歴史的建造物として保存し、郷土の偉人二代目大和田荘七翁の遺徳を顕彰するため、これを譲り受け、昭和53年8月、敦賀市立歴史民俗資料館として開館いたしました。
その後建物の原形を損なわないよう内部改装や周辺整備を進めて博物館としての充実をはかり、平成5年2月に博物館登録、同7月に敦賀市立博物館と名称を変更いたしました。
なお、本館は「旧大和田銀行本店」として平成5年1月12日に敦賀市指定文化財となっています。

(リーフレットより)

玄関入口




玄関入口






(平成20年4月11日)
玄関入口(内部)






玄関入口(内部)







(平成20年4月11日)
主な館蔵品

■美術工芸資料

館蔵美術資料は近世・近代の日本画が中心となっています。
敦賀の鷹絵師として知られた橋本長兵衛とその画系を始め、地元敦賀の町絵師として活躍した内海三代、近代日本画の確立期に指導者としても大きな足跡を残した幸野楳嶺といった郷土関連画家を核とし、近世日本画の流れの中で重要な位置をしめた流派の作品も多く収蔵。
江戸時代幕府の御用絵師であった狩野派、宮廷絵所預かりの官職にあった土佐派、円山応挙を祖とする円山派・四条派、京都で独自の活躍をした原派、冷泉為恭を中心とした復古大和絵派などの優れた作品やその歴史について、常設展示や特別展で紹介しています。
その他寄贈資料を中心に、現代洋画、日本画、書、工芸なども収蔵しています。

■歴史・民俗資料

天然の良港に恵まれ、畿内から大陸や東北地方への玄関口であった敦賀は、古代から港町として栄えました。
特に明治には日本海側で最初に鉄道が開通。
対岸交易が盛んになり、シベリア鉄道と連絡する国際列車が運行されるなど、国際港として発展しました。
その当時を伝える港関係の資料のほか、元治2年に敦賀で処刑された水戸天狗党関連の資料を常設展示しています。
また、つい最近まで使われていた生活用具・生産用具など、市民の皆さまから寄贈された貴重な民俗資料を多数展示。
その他、北陸で初めて設置されたというエレベーターでは、記念撮影も出来ます。

■考古資料

市内には縄文時代以降、各時代の遺跡が多数存在しています。
遺跡は出来るだけ現状で保存されるべきものですが、開発等によって破壊がやむをえない場合は、記録として保存するために発掘調査を行います。
当館では、これまで敦賀市教育委員会が行ってきた調査で確認された遺物の一部を展示しています。
主な展示資料は、旧石器時代のナイフ型石器(約1万2千年前)をはじめ、小谷ヶ洞古墳群(4世紀)、穴地蔵古墳群(6世紀後半)、衣掛山古墳群(6世紀後半〜7世紀前半)、深山寺経塚群(12〜13世紀)といった遺跡の出土遺物です。

(リーフレットより)

階段
階段 階段踊場
天井の照明
天井の照明 天井
エレベーター




日本の初期エレベーター

定員   8名
積載量 180貫(675kg)
速度   70尺/分(21m/min)
製造   大正14年




(平成20年4月11日)

日本のエレベーター

日本で最初のエレベーターは、天保3年(1842)第9代水戸藩主徳川斉昭によって、現在の茨城県水戸市の偕楽園かいらくえん内に食事や本を運ぶために設置された、井戸の水を汲み上げる釣瓶つるべのような、手動式の装置にはじまるといわれています。
日本で最初の電動エレベーターは、明治23年(1890)11月10日に竣工された浅草『凌雲閣りょううんかく』(通称「12階」)にありました。
物珍しいエレベーターは大変な人気を呼んだそうですが、故障が多く、また当時の人々はなじみのない「電気」に抵抗があったらしく、半年で使用停止になってしまいました。
大正12年(1923)関東大震災で凌雲閣が解体されるまで、エレベーターの運転期間は短いものでしたが、これをきっかけに、都市部を中心に電動エレベーターが普及していきます。

展示してあるエレベーターについて

このエレベーター(の外枠)は昭和2年(1927)に、この建物ができた時、実際に使われていたものです。
凌雲閣の電動エレベーターをはじめ、日本の初期エレベーターの多くは、アメリカのエレベーター会社オーチス社製でしたが、このエレベーターには「日本エレベーター製造株式会社」とあります。
日本エレベーター製造株式会社は大正8年(1919)創業の日本で最初のエレベーター製造会社です。
エレベーター内部の商標に「東松式昇降機」とあり、これは会社創業時に常務取締役だった東松考時氏の名前からきていると思われます。
このエレベーターは現在のエレベーターがある場所に、同じように設置されていました。
内部の操作盤を使い、行きたい階に目視でエレベーターを止めるという運転方法なので、戸は透けて見えるジャバラになっています。
このエレベーターは日本エレベーター史初期の頃の資料として、また北陸地方で最初に設置されたエレベーターとして、大切に保存していきたい貴重な資料です。

(説明文より)

エレベーター エレベーター内部の操作盤

大和田銀行

1892年(明治25)、二代目大和田荘七が、当地(蓬莱町)において創業。
当初は資本金10万円の株式会社として発足したが、翌年より荘七の個人経営となる。
順調に業績を伸ばし、日清戦争後には、大阪、武生、福井、粟田部、金沢等の支店を開設、急速に地歩を固めていった。
1918年(大正7)、取扱高が個人経営の枠を超えたので再び株式会社組織に戻し、やがて資本金も500万円に増資するに至った。
1927年(昭和2)には堂々たる洋風建築の本店(現市立博物館)を新築、1936年には敦賀25銀行を併合し、支店数17を数える中核銀行へと成長する。
しかし、1945年(昭和20)、戦時下の一県一行主義体制により三和銀行に併合され、半世紀に及ぶ歴史に幕を引くことになった。

(『みなとつるが山車会館・別館』の展示資料より)


訪問記

館内の撮影は基本的には禁止ですが、展示品を写さないのであればOKとの事でした。
唯一撮影可能なのは展示品のエレベーターのみです。

(平成20年4月11日訪問)


施設の概要

敷地面積    1,071.44平方メートル
建築延面積   1,451.58平方メートル
本館建物構造 鉄筋煉瓦造地上3階地下1階

博物館利用のご案内

開館時間=午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日=毎週月曜日(休日に当る場合はその翌日)
      休日の翌日(日曜日に当る場合はその翌々日)
      年末年始(12月28日〜翌年1月3日)
入館料=一般200円
交通案内=市内バス利用
       JR敦賀駅から
       福井鉄道バス「松葉町行」神楽町バス停下車、徒歩5分
       コミュニティーバス「はぎ号」利用 山車会館下車
       タクシー利用 JR敦賀駅から約10分
       自家用車利用 北陸自動車道敦賀インターから約10分



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