旧佐倉順天堂

(現:佐倉順天堂記念館)

千葉県佐倉市本町81番地


旧佐倉順天堂 (平成18年8月31日)

千葉県指定史跡
旧佐倉順天堂


昭和50年3月28日指定

順天堂は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾を開いていた蘭医佐藤泰然さとうたいぜんが佐倉に移り住み、天保14年(1843)に開いたオランダ医学の塾です。
ここではオランダ医学書を基礎としながら、当時としては最高水準の外科手術を中心とした実践的な医学教育と治療が行われ、その名声により幕末から明治にかけて全国各地から多くの塾生が参集しました。
泰然の養子佐藤尚中たかなか(山口舜海やまぐちしゅんかい)は、長崎でオランダ軍医ポンペに学んだ後、系統的な医学教育をとり入れ、ここで学んだ塾生の多くが明治医学会において活躍しました。
明治時代になると佐藤尚中は新政府から大学東校(現東京大学医学部)の最高責任者として招かれた後、御茶ノ水に順天堂医院を開業しました。
一方、佐倉の順天堂は養子佐藤舜海(岡本道庵おかもとどうあん)が受け継ぎ、佐倉順天堂として医療活動を続けました。
現在残っている建物は、安政5年(1858)に建てられたものと、その後拡充された施設の一部です。

平成5年12月20日
千葉県教育委員会
佐倉市教育委員会

(説明板より)

佐倉順天堂病院の図 (説明板より)

順天堂

佐藤泰然は佐倉で開業した時にこの「順天堂」という堂号を用いました。
”順天”とは「天道に従う」すなわち「自然の理に従う」ということを意味します。

玄関



玄関







(平成18年8月31日)
廊下




廊下






(平成18年8月31日)
展示室




展示室






(平成18年8月31日)

佐倉順天堂職員古写真 (展示パネルより)

佐倉順天堂復元模型




佐倉順天堂復元模型
(縮尺100分の1)




(平成18年8月31日)
佐倉順天堂における医療

順天堂では、塾生が泰然・尚中の助手や代診をすることによって、実地に医術を習得していくことが多かった。
その実地経験により、佐倉順天堂は精得館(長崎)と東西において相並び、医学研究をリードしているといわれた。
当時の順天堂には病室がなく、患者の宿泊する旅館を病室としていた。
手術をする場合、「手術承諾書」と手術により死亡した場合、佐倉に埋葬するために必要な書類を患者に提出させていた。
往診もおこなっており、藩領外や長期にわたる場合には藩に許可を受けている。
ただし、それは縁者やその紹介によっていたようである。
安政元年(1854)12月に書かれた佐倉順天堂の治療代の一覧が残されており、嘉永年間に書かれた「順天堂外科実験」によってわかる具体的な手術例とあわせると、当時佐倉順天堂でおこなわれた治療がある程度わかる。
そのころ華岡青洲はなおかせいしゅうによって開発された麻酔薬は、副作用がひどかったので、佐藤泰然は手術に麻酔薬を用いず、患者の生命力を頼って手術したといわれている。

(展示パネルより)

和室




和室






(平成18年8月31日)
和室・展示室




和室・展示室






(平成18年8月31日)
黒門の礎石



旧佐倉順天堂の黒門の礎石

(佐倉順天堂記念館の庭)





(平成18年8月31日)

旧佐倉順天堂の黒門の礎石

旧佐倉順天堂の門の礎石です。
現在の冠木門・塀は平成13年(2001)に再建されたもので、そのとき同時に門の土台部分の礎石も新しくしました。
門そのものは平成13年で二度目の再建となりますが、礎石自体は旧佐倉順天堂がこの地に建てられた安政5年(1858)から平成13年(2001)まで同じもので、およそ140年間にわたりこの礎石が門を支えていました。

(説明板より)

佐藤泰然と旧佐倉順天堂




佐藤泰然像と旧佐倉順天堂






(平成18年8月31日)
佐倉順天堂記念館



佐倉順天堂記念館
(旧佐倉順天堂)





(平成18年8月31日)
ご利用案内

◆開館時間:午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
◆休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月28日〜1月4日)・その他の臨時休館日
◆入館料金:一般 100円


 (関連商品のご紹介)

順天堂



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