旧蚕糸試験場事務棟

(現:前橋市蚕糸記念館)

群馬県前橋市敷島町262番地(敷島公園ばら園内)


前橋市蚕糸記念館 平成16年9月11日

県指定重要文化財
旧蚕糸試験場事務棟

指定 昭和56年7月10日
所在地 前橋市敷島町262番地

この建物は、明治44年12月22日、前橋市岩神町(現、昭和町3丁目)に、国立原蚕種製造所前橋支所の本館として建てられたものである。
当時、政府は、全国で養蚕の盛んな群馬県、福島県、京都府など六地方に原蚕種製造所の支所を設けたが、現在残っているのはこの一棟だけである。
建物の特長は、玄関のエンタシス状の柱、レンガ積みの基礎、上下開閉の窓、入口のドアの低い取手、避雷針の設置などであり、明治末期の代表的な洋風木造建築物といえる。
原蚕種製造所前橋支所は、多くの優れた研究を完成し、わが国蚕糸業の振興に大きな貢献を果してきた。
その後、名称は蚕業試験場、同養蚕部などと改称されたが、昭和55年1月、茨城県筑波学園都市の農林水産省蚕糸試験場に統合された。
前橋市では、昭和56年、国から払い下げを受け、ここに解体、移築して前橋市蚕糸記念館とした。

昭和58年3月
群馬県教育委員会
前橋市教育委員会

(説明板より)

前橋市蚕糸記念館

開館:9時〜16時
4月〜11月の土・日・祝日のみ開館
(4月下旬〜6月上旬は、火曜日を除き開館)
入館料:無料

※休館日で特に見学を希望される方は、あらかじめ文化財保護課へお申し込みください。
前橋市教育委員会文化財保護課 電話番号:231−9875

第2展示室 第2展示室

繭出荷までの養蚕用具などが展示されています。
第3展示室 第3展示室

製糸業に用いる道具や器械が展示されています。
第4展示室 第4展示室

機織はたおりや養蚕信仰の資料などが展示されています。

前橋市蚕糸記念館

玄関部分

大島桑 大島桑

敷地内には何種類かの桑の木が植えてありました。

敷島公園

利根川河畔の原生林を開いて造られた自然公園です。
36.3ヘクタールの園内には樹齢を重ねた約3,000本の黒松が群生しています。

林間学校発祥の地の碑 『林間学校発祥の地』の碑

碑文

ここ敷島公園(小出河原)の緑濃き松林は、群馬県内で初めて林間学校の開かれた地である。
大正10年(1921)8月の夏季休業中に、前橋市専任学校医狩野壽平(富士見村原之郷出身)は、市内の小学生の虚弱児の体質を向上させるため、林間学校を開設した。
この林間学校は、昭和19年(1944)まで続けられ、多大の成果をあげ、その精神は現在の高原学校や臨海学校に引き継がれている。
ここに群馬県学校保健会五十周年にあたり、林間学校発祥の地に記念碑を建て、全國に先がけて学校保健のため尽くされた先人の偉業を後世に伝えたい。

平成12年11月吉日
建碑寄贈者
群馬県学校保健会理事
勢多郡学校保健会会長
医学博士 五十嵐誠祐
  富士見村原之郷
石工 書上石材店

お艶が岩とお艶観音像 『お艶が岩』と『お艶観音像』

お艶が岩
伝説

この”お艶が岩”には、こんな話が伝えられています。
「お艶」とは、実は”淀君”だったということです。
淀君といえば豊臣秀吉の側室で、慶長20年(1615)大阪夏の陣に際し、わが子秀頼とともに大阪城の天主閣で炎の中、自刃したと伝えられています。
ところが、対岸にある元景寺に伝わる話によりますと、淀君は、大阪夏の陣に出陣した総社城主秋元長朝の陣に助けを求めてきました。
長朝は、淀君を篭に乗せ木曽路を通り総社に帰りました。
もちろん当時、淀君をかくまったとあっては、たいへんなことですから、”大橋の局御縁”と呼んでいました。
その後、幾星霜、この城でなに不自由なく過ごしていた淀君でしたが、過去の悲哀に耐えきれず、遂には世をはかなんで、この岩の上から利根の激流に身を投じたといいます。
この”御縁”が、語り継がれていくうちにいつしか”お艶”にかわり、だれいうとなく、この岩を”お艶が岩”と呼ぶようになったということです。
総社の元景寺には、”淀君の墓”といわれるお墓があり、淀君が使ったという、お篭も残っています。
なお、こゝにある「お艶観音像」は、敷島公園愛護会がお艶三百三十年忌に際して、昭和34年4月日展審査員山本雅彦氏に制作をゆだね建立したものです。

(説明碑文より)

敷島公園ばら園入口 敷島公園ばら園入口

萩原朔太郎記念館 萩原朔太郎記念館
(敷島公園ばら園内)

左から、書斎、離れ座敷、土蔵です。

「萩原朔太郎記念館」案内

萩原朔太郎(1886〜1942)は、明治19年前橋に生まれ、40歳までをこの地に過ごしました。
大正6年(1917)、詩集『月に吠える』によって詩壇に登場し、数多くの詩集、評論を発表し近代日本文学史上に大きな足跡を残しました。
詩人の生家は、昭和43年、(1968)市内千代田町1丁目にありました。
往時の姿は左図に示したとおりですが、現在は跡かたもありません。
生家の一部であった「土蔵」・「離れ座敷」・「書斎」をこの地に移築復原し、「萩原朔太郎記念館」として永く保存しました。
「土蔵」内部は、詩人の遺愛品をはじめ、その生涯と文学業績がたどれるよう展示されています。
前橋文学館(市内千代田町3−12−10 TEL027−235−8011)には、「萩原朔太郎展示室」があります。

記念館敷地内は禁煙です。
観覧時間 午前9時〜午後4時
観覧料 無料

(説明板より)


蚕糸


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