旧スチイル記念学校

長崎県長崎市・長崎グラバー園


旧スチイル記念学校 平成19年3月26日

旧スチイル記念学校

この建物は、1887(明治20年)にアメリカのダッチ・レフォームド教会外国伝導局長スチイル博士が、18歳で亡くなった息子ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校「スチイル・メモリアル・アカデミー」で、東山手9番地(旧英国領事館跡)に建てられていました。
以来、私立東山学院、私立中学東山学院、明治学院第二中学部東山学院と校名は改称されましたが、英語教育と特色ある学風で昭和7年まで約50年の歴史を長崎の教育史に飾りました。
その後、長崎公教神学校、東陵中学校、海星学園校舎と変遷して1972(昭和47年)に海星学園より保存のため長崎市が寄贈を受け、翌年現在地に移築し復元したものです。
設計者はオランダの牧師といわれています。

長崎市

(説明板より)

館内



館内


洋館に関する資料展示




(平成19年3月26日)

長崎の洋館について

幕末から大正にかけて建てられた洋館は、開港以来の長崎のあゆみを今に伝える、歴史の証人であり貴重な文化遺産です。
明治時代には800棟近くの洋館が市内と近郊にありました。
昭和の初期においてもなお、多数の洋館が永らえ旧居留地の町並みを形成して、日本の異国長崎の面影を色濃くとどめていました。
しかし、これ等も年を追うごとに老朽化して姿を消し、現存する洋館は70棟余です。
ここには、長崎が産んだ我が国写真界の先達、上野彦馬の撮影した幕末の長崎外国人居留地の写真を始め、これまでに消え去った洋館を中心に展示しております。
明治32年以降、長崎は要塞地帯でしたので、戸外の写真撮影だけでなく、風景を描くことさえ制約がありました。
これは昭和に入って一そう厳しくなりました。
従って昭和初期の洋館の写真は少なく、わずかに絵はがき等に残ったものから、所有者のご協力を得て複製しました。

(説明板より)




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